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<<   作成日時 : 2017/05/30 06:10   >>

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5日目:下呂から京都
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4泊5日の旅の最後の日も天気良好でした。およそのコースですが、下呂から西に郡上に行き、さらに西に走り「徳山ダム」を見学し、大垣市を通って名神を利用して帰宅することにしました。誰も私の帰宅を待っているわけでもなく、時間的余裕をもって移動しました。

岩屋岩蔭遺跡
画像「湯ノ島館」から急な坂道を下り、温泉街を抜けて、国道41号線に出て、南に走りました。しばらくして「郡上」の道路標識を見つけ、右に折れ、国道256号線(飯田市・岐阜市間)を西に走ると長い立派な新しいトンネルに入りました。トンネルを出ると、比較的小規模なダム湖(馬瀬川第二ダムの人工湖)があり、湖に架かる橋を渡ってみました。下呂市指定という「岩屋岩陰遺跡」の案内板を見つけました。考古学には関心がないのですが、初めて聞く遺跡で、この界隈を二度と訪れることはないだろうと寄ってみました。
その遺跡は、もう一つ上流に在る「岩屋ダム」の近くの山の斜面に大きな岩が無造作に神社の境内に配置され、解説所兼休憩所も在りました。そこのパンフレットを読むと縄文時代にあたる4500年より前に造られた天体観測所だとする説の遺跡です。
これは三つの巨石群からなる「金山巨石群」とも呼ばれ、巨石群そのものは以前から知られていたのですが、考古天文学の研究者が1998年から太陽の運行を調べた結果、この巨石群が天体観測所であるとの説を提唱し、にわかに注目を浴び、当時の金山町(その後合併して下呂市となる)が観光資源とて活用したのです。その後下呂市金山町に「金山巨石群調査研究室」が置かれました。研究結果は海外にも伝えられ、考古天文学者の間で知られるようになり、イギリスに在る「ストーンヘンジ」との近似性も指摘されているそうです。
同調査研究室によると、この種の古代天文観測所は日本では他の例がないとのことです。
もっとも別の学者らは、人工的な巨石群ではなく、たまたま自然に形成された物で天体観測所説を否定しているそうです。私が判定する資格はありませんが、日本の歴史を大きく書き換えらえるほどでもなく、今生きる私たちの生活に影響するわけでもなく、天体観測所説の方がおもしろそうです。

濃飛横断自動車道
国道256号線に戻り、西に走ると、再び長い立派な新しいトンネルに入りました。こんな山のなかにこんなトンネルがあるのを不思議に思い、帰宅後、調べると岐阜県内に限定された「濃飛横断自動車道」の一部としてこれらのトンネルが完成さされたようです。山のなかのトンネルではなく、道路の場合、人が住む土地の買収は難渋することもあるでしょう。人目につかない山のなかの道路行政の一面でしょうか。
なお、この自動車道は、松本から福井に計画され部分的に工事が進められている「中部縦貫自動車道」とは別物です。

鍾乳洞群
画像郡上市の山中の国道沿いに三つ鍾乳洞が在ることを案内板で知りました。
東から郡上鍾乳洞、美山鍾乳洞、大滝鍾乳洞です。私の鍾乳洞経験は高校時代の高知県の「龍泉洞」と国立公衆衛生院時代の岩手県の「龍泉洞」の二つだけで、こうした「自然現象」ではなく、鍾乳洞と石灰石鉱山の関係、あるいは自然と人間の絡みに関心があるのです。
この種の鉱山は岡山県が12カ所で最も多く、次いで岐阜県で11カ所です。海底でサンゴの蓄積などによる石灰石の層が隆起して一部は鍾乳洞として観光資源に活かされ、一部は石灰石を採掘してセメントを造り、道路やビルの建設に使われるという想像を絶する時間のなかでの流れがあるのです。

天然造形物の鍾乳洞といった類にあまり関心がありません。そもそも人間とほとんど関係なく形作られた造形物をたまたま人間が観て感動するという関係なのでしょう。その天然造形物の最たるものは、私たちの頭上で地球の外に拡がる真空と暗黒の大宇宙だと思います。宇宙といわず大気圏外への観光旅行が現実味を帯びてきています。その旅で有り余るお金を持った人間は何を感じるのでしょう。創造主たる神の存在でしょうか。ささやか生物の人間を再認識するのでしょうか。

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板取川
画像郡上市の市街地を通過して国道256号線をさらに西に走りました。またもや長い立派な新しいトンネルを通過して関市(2005年の合併で歪な地形)に入りました。丁字路で国道をそのまま川に沿って南下しました。その川はとても澄んでいました。道には「鮎禁漁区」「入漁券」「友釣り」「おとり」など鮎釣りに関係する看板や幟が数多く立っていました。帰宅して調べると、その清流は「板取川」で、岐阜県内でよく知られた鮎釣り漁場だそうです。
ここでも天然の鮎ではなく、板取川上流漁業協同組合が毎年放流しています。
京都のスーパーで売られている鮎の多くは岐阜県産ですが、1匹120円から220円の養殖鮎です。養殖鮎は小さいながらなかなか美味い。

淡墨桜
画像関市の東隣りの山県(やまがた)市内で国道256号線から国道418号線(大野市・飯田市間)に移り、本巣市に入りました。樽見鉄道線(大垣駅・樽見駅間)の終点「樽見駅」の近くに着きました(この鉄道はもともと石灰石専用鉄道)。この界隈で「薄墨桜」の上番や道路標識が多く、日本三大桜の一つと説明書もあり、季節は過ぎたが寄ってみました。その日は大きな葉桜の樹でした。樹の近くので食べ物野の大将に聞くと、今年は4月中旬が見頃だったそうです。この日、観光客は私と男女一組だけでした。
公園に成っている樹の周囲には、いくつかの広大な駐車場があり、見頃には相当な数の観光客が押し寄せるようです。桜名の「薄墨」は「ヒガンザクラの一種で散り際に淡く墨色を帯びる」と、本巣市観光サイトに説明がありました。
この薄墨桜は、場所名を付けて「根尾谷(ねおだに)淡墨桜」と呼ばれ、福島県三春の「三春滝桜」、山梨県北杜市の「神代桜」と併せて、三大桜と呼ばれています。滝桜は観たことありますが、神代桜は写真で見るかぎり朽ち果てそうな巨木の桜です。それぞれ特徴ある花の盛りを演じているようです。

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徳山湖
画像国道157号線(金沢市・岐阜市間、酷道としてマニアの間で有名な国道)を少し北西に走り、県道に移りました。あまり整備されない狭い山道を登り、車が一台しか通れないトンネル―工事用トンネルか―を抜けると、眼下に湖「徳山湖」(「徳山ダム湖」とは呼ばない)が拡がっていました。ダム湖に架かる立派なコンクリート製の橋を渡り、立派なトンネルを抜け、左に折れ、再びトンネルを抜けると立派な吊り橋がありました。車は時々工事用トラックを見かける程度で、橋の真中に停車してダム湖を観ました。
先の岐阜県の山間部を旅した時、横山ダムを見ました。その川上に日本最大級のダムと最大貯水量のダム湖が在ることを知りました。今回、そのダム湖の観察で訪れました。何か期待していたのですが、何も思いが浮かばない印象の薄いダム湖でした。
今回ブログを書くにあたってダム湖の画像を検索していると、水没前の徳山村の一部を記録した画像を見つけました。この画像は先の「八ッ場ダム」の工事現場で観た光景を連想したのです。この工事で徳山村のおおよそ1500人が転出し徳山村は消失したのです。2006年に湛水が始まり、村は水没して観えなくなったのです。湖底でかつて人々の暮らしがあったことを連想できなければ、ダム湖は単なる大きな湖に過ぎないのです。八ッ場ダムもこのことを繰り返すのでしょうが、しかし徳山ダムと異なり八ッ場ダムの場合、自分たちが暮らしていた集落に近い山腹で新たな生活を始めていることだと思います。元住民が近くに居る八ッ場ダムの場合と異なり元住民が居なくなった徳山湖は何も想像させなくしたようです。

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谷汲温泉
徳山ダムから横山ダム湖の脇と通り、国道303号線(岐阜市・福井県若狭町間)で大垣市に向かいました。前回と同じ道を避けたいと、途中で県道を東に走り、樽見鉄道沿線に出ました。「谷汲口(たにぐみぐち)駅」のプラットホームに立ちましたが、1時間の一本の電車はなかなか来ません。諦めて近くにある日帰り温泉の「谷汲(たにぐみ)温泉」に行きました。地元の人がもっぱら利用している銭湯のようでした。二つの広い露天風呂は人がいなくて、貸し切り状態で、一人裸で大の字で空を観るという贅沢ができました。
銭湯のありふれた食堂で「あさり炊き込みご飯」を食べました。意外に美味かった。

大垣城
画像京都にまっすぐに帰らないで大垣市内を車で散策し、量販店に車を停めて大垣城を見学しました。現在の城は、戦後に建てられた観光向け建物で、内部には資料や遺物が展示さえていました。大垣城は明治政府の廃城令にもかかわらず天守閣など一部の建物は破壊を免れ、国宝に指定されていたが、先の戦争の大垣空襲で焼失しました。確かに城の周辺の建物のほとんどが戦後に建築物と思われるものばかりでした。
ネット情報によると、大垣空襲は繊維工場などが在ったためか空襲は6回に及び、最後は終戦前の7月29日で。焼夷弾が2万発も投下されたそうです。しかし、他の被災都市と比べ死者は50人ととても少ない数だったそうです。その理由の一つとして、大垣空襲の前の7月9日に空襲を受けた岐阜の惨状から時の少年兵が、バケツリレーなどの消火活動は役立たないと知り、大垣空襲では逃げる市民に消火活動を強制しないで避難させたとの少年兵の証言があるそうです。

大垣市廓町
大垣城の周りを走っていると道路標識の地名に「廓町」とあるので、おやっと思いました。大垣市の中心街に「遊郭」を連想させる地名を使っていることに大垣市民はどう思っているのだろうと勝手に気にしました。
遊郭の代表格「吉原」が在った一帯では「吉原」という地名はほぼ消滅し「台東区千束」などと呼ばれています。有名な吉原という地名がマイナス情報として捉えられることを配慮して地名を変えたと思われます。例外的にこの地に「吉原大門」という地名は残されています。
大垣城の受付の高齢の女性の方にこのことを聞いたら、彼女は「城郭の廓だ」と教えてくれました。確かに大垣市では城の廓で、埼玉県川越市にも廓町の地名があり川越城の周辺の地名です。
「廓」は「デジタル大辞泉」には以下の三つの意味があると示しています。
1 城やとりでの周囲を土や石などで築き巡らしてある囲い。また、その内側の地域。
2《周囲を塀や堀で囲ったところから》遊女屋の集まっている地域。遊郭。遊里。
3 俳諧で、発句の題材に伴って出てくる連想の範囲。
さらに、全国の遊郭を調査しネットで報告している「専門家」によると、大垣市の廓町には戦後まで「芸妓」は居たが「娼妓」は居なかった、娼妓は別の地区にまとめらえていたそうです。
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廓町から南下し大垣インターで名神に上がり、京都東インターで降りて、帰宅しました。
今回の4泊5日の旅の総走行距離は約1600キロ。ほぼ安全な運転で終えることができました。自信がついてさらに旅を続けます。
今月は旅報告だけのブログでした。
(おわり)

画像説明:地図(@岩屋岩蔭遺跡A美山鍾乳洞B淡墨桜C徳山湖D谷汲温泉)、岩屋岩蔭遺跡、美山鍾乳洞(同サイトの画像)、板取川で鮎釣りの様子、板取川で釣った鮎、薄墨桜(左:満開時、右:私が観た葉桜)、徳山湖(水没前の徳山村、白い建物は徳山小学校、現在の徳山湖)、谷汲温泉の内観、大垣城再建天守閣の外観、大垣市廓町(赤線内)。

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