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<<   作成日時 : 2017/05/28 01:43   >>

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3日目:法師から別所
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3日目は、法師温泉から長野県の別所温泉まで移動しました。その間、四万(しま)温泉などの温泉地、大規模建設進んでいた八ッ場ダム、そして上田地方の宗教施設を観て回りました。

猿ヶ京温泉
画像宿を出る頃、小雨まじりに天気でした。国道17号線を南に下ると、ダム湖が観えてきました。利根川水系8ダムグループの一つ「相俣(あいまた)ダム」のダム湖「赤谷湖(あかやこ)」です。ダム湖に周辺には規模の大きなホテルが点在していました。「猿ヶ京(さるがきょう)温泉」です。1959年に完成したダムで水没した温泉宿がダム湖周辺に移転し整備されたものです。関西にはなじみが薄い温泉ですが、群馬県ではよく知られた温泉だそうです。この後。訪れた「八ッ場ダム」と水没する予定で山に移転した川原湯温泉の前例ともいえそうですが、このダム建設ではおおきな反対運動はなかったそうです。

富沢家住宅
画像猿ヶ京温泉地を抜け、国道を右に折れ、比較的整備された山間部の県道を西に走りました。山中を走っていると「富沢家住宅」の案内板を見つけ、急な坂道を上がって見学しました。群馬県のこうした山の中に二度と来ることはないだろうと、ちょっと気になる見学・観察物件があると観ることにしました。
小さな集落の先に萱葺の大きな2階建がありました。入口の障子戸を開けると受付に誰もいません。募金箱に100円入れて内部を観察しました。江戸時代初期にこの地を開拓した富沢家の規模の大きな農家の建物でした。立ち入り禁止となっていました階段を上って見回すと間切りがない広い養蚕の作業場でした。そういえば、近辺に桑畑を散見しました。
富沢家は三国街道の枝道に在あるが、信州との物流の要としても栄えたそうです。
それにしても大きな萱葺の木造2階建をどのように建てたのだろうと、関わった職人の技に感嘆したくなりました。

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四万温泉積善館
画像県道から国道353号線(桐生市・柏崎市間、県境で中断)に移り、四万川にそって北に走りました。この温泉地を訪ねるのはかなり古い木造3階建ての宿泊施設を持つ「積善館」という温泉旅館があるからでした。その温泉地に入ってみると、山間部の渓流に沿った規模の大きな温泉地で宿群がいくつかに分散して在るのです。関西ではほとんど無名だと思いますが、関東ではよく知られた温泉地だそうです。交通の便の悪いにも拘わらず多様な大小の旅館やホテルが多様な質の温泉サービスの提供しているようでした。
寄り道の目標の積善館ですが、温泉地の中心的場所に在り、三つの新旧の建物―本館、山荘、佳松亭―で構成されていました。公式サイトには来館者として後藤新平、東条英樹、片山哲、岸信介など「錚々たる」政治家、文人らの来館者を誇らしげに掲載しています。

画像本館は江戸時代に建てられた姿を残すとされ最も古く、一階部分には1930年に新たに設けられた洋風浴場「元禄の湯」が在りました。現在日帰り入浴でも利用でき、入浴料1200円を払って入って驚きました。内装の壁はいたるところで剥がれ、壁もタイルの床も汚いのです。お金を払って浴場まで入ったからにはお湯を確かめたいと深い浴槽に浸かってみました、特徴のない泉質でした。
これで1200円はひどい、ほとんど詐欺ではないかと「怒り」が込みあげ、黙っておれないと苦情と要望と激励のメールを送りました。1週間ほど後、丁寧なメールを受けました。改善を期待したい。

若い二人
積善館を出ると橋の上に若い二人連れを見かけました。前日、あまりにひどい「元禄の湯」への憤りから「すばらしい法師温泉」を紹介したくなり、かわいらしい女性に話しかけ「どちらから?」と聞くと、「長岡ら」と答えてくれました。「帰路に法師温泉という宿あるよ」と勧めました。一緒にいた男性の苦笑いしていました。デートで四万温泉まで来た様子でした。
後から知ったのですがが、この積善館は、私は関心がない宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになったそうで、この旅館の界隈に若者をよくみかけたようです。
若い二人づれを観たことで、亡くなった妻とデートを思い出し、運転しながら涙が溢れてきました。

川中温泉
画像四万温泉から元来た道を南に走り、国道145号線(長野原町・沼田市間)に移り、西に走りました。「日本三大美人湯」の一つとされる川中温泉を訪ねました。
温泉分野もいくつかの「日本三大」が提唱されていますが、その多くは根拠が曖昧です。温泉観光の視点から「三大」の一つであることを利用し差別化して優位性をアピールしたくなるでしょう。この「日本三大美人の湯」は、一般に「川中温泉」「龍神温泉」(和歌山県)および「湯の川温泉」(島根県)を指すようです。案内板に沿って国道から林道のような道を少し入ったところに川中温泉「かど半旅館」の一軒家が在りました。入り口に車を停めて覗くと、あまりりっぱではない造りの普通の民家で温泉宿らしくもなく、これ以上中を覗く気力はありませんでした。この温泉宿を観て「日本三大美人の湯」が怪しくなりました。


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八ッ場ダム
画像「八ッ場ダム」をほぼ4年ぶりに訪れました。川中温泉から国道に戻り、西に走ると新しい立派な長いトンネルに入りました。トンネルを出るとそこは八ッ場ダム工事の最後で主要な建設現場―高さ131メートル重力式コンクリートダム本体の建設―でした。吾妻(あがつま)渓谷だった一角にコンクリートを積み重ねる工事を進めている様子がよく見えました。訪れる人達に配慮してか「やんば見放台」なる展望台もありました。国土交通省のアイディアなのでしょう。公式サイトに「見学者10万人を突破」と自慢しています。

その展望台には登る気がしないで、向いの新しい集落の様子を観にゆきました。かつて民主党政権が工事中止を掲げ、にわかに注目を浴びた八ッ場ダムですが、その建設現場の大橋の一つが工事中止となり、高いT字型の橋脚が立っていました。象徴的光景だったのです。今回、その完成した大橋を渡っていきました。
画像向い集落は山腹を削って造成した平地に、工事関係の建物のほかに、新しい民家、新しい郵便局、そして移転新築したぴかぴかの川原湯温泉「玉湯」もありました。これらは人工的な空間でなにか違和感を覚えました。
さらに短いトンネルを抜けると、JR吾妻線の真新しい「川原湯温泉駅」の駅舎が在り、営業中でした。前回の訪問の時、吾妻線の電車に乗って渓谷美を堪能しました。今回は眼下に見えるレールは雑草のなかに赤茶色に錆びてみえました。

八ッ場ダムの工事は確実に進んでおり、2020年予定のダム本体の工事の終了を待つばかりといった空気でした。その際、残された民家と道路と鉄道、そし吾妻渓谷そのものが水中に沈んでいく様子を目の前で観ることができるのでしょう。
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1949年の計画で始まった八ッ場ダムの工事は、70年の長き年月を経て、終えることになるのでしょう。この間のダムの必要性が問われ、住民の反対運動も起こり、政権交代で新たに問題提起しながら、最終的に建設官僚の描いた計画が実現するということのようです。もっともダム建設は、原発建設と比べると後の時代への影響は格段に弱く、完成してしまえば受け容れざるをえないで、許される事業なのかもしれません。しかも八ッ場ダムがわが国の巨大ダム建設の最後と思われます。

とんかつ「もり亭」
画像国道145号線をさらに西に走り、同じ長野原町でも八ッ場ダムの建設にもろには影響うけなかったありふれた風景に戻りました。昼食のレストランを探していると「とんかつ『もり亭』」の看板を見つけました。それまでの2泊の朝食は和食で、肉料理を食べてくなり、好都合でした。広くはない店内は客で一杯でした。「とんかつ定食」を注文しました。とんかつは特徴はないのですが、すごく美味かった。客が多い訳がわかりました。家族経営の店で2000年に開業したと聞きました。マスターと奥さんにお礼を言っておきました。

嬬恋村
八ッ場ダムの影響で二手に分かれていた国道145号線が合流し、ここから国道144号線(長野原町・上田市間)と146号線(長野原町・軽井沢間)に分かれ、上田に行く144号線を走りました。「嬬恋村(つまごいむら)」に入りました。前々から気になっていた村名でどのような村なのだろうと期待しましたが、普通の高原の地域でした。

読みにくいが洒落て品のある村名の由来は、神話に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)だそうです。1889年からこの名前で一貫して合併を避けてきたようです。「どこのご出身」と尋ねられると誇りをもって「嬬恋村」と答えられそうです。「野沢温泉村」より印象がよいと勝手に偏見を持ってしまいます。現在の人口は約9700人。

嬬恋村には吾妻線の終点「大前駅」がありますが、質素な駅でした。ここは終点ではなく、長野県に通じる計画があると思うのが普通でしょう。実際、北西方向にある現在の「しなの線」の「豊野駅」までの鉄道建設の計画はあったそうです。直線距離にして約30キロですが、途中のトンネル工事が困難だという理由などでその後進展は無かったようです。
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田代湖
国道144号線のゆるやかな上り坂を走っていると、カーナビに湖らしい画像が現れました。こんなところに高原に湖?と疑問に思いつつ確認するため、国道から右折して砂利道を走りました。湖面は観えるのですが、なかなか近づけません。湖にフェンスが張り巡らされているのです。自衛隊の演習場とも思いましたが、案内板を読むと東京電力が管理する「田代湖」(ダム名から「唐沢ダム湖」または「唐沢貯水湖」という)でした。
火山噴火で堰き止められた湖を発電用の貯水池として利用するため周囲に新たに堤防を造って貯水機能を高め、南東方向の国道沿いに在る東京電力「唐沢発電所」に水を送り始めました(1926年発電開始)。
発電所の運転によって湖面の上下の変動が激しく、特に冬期は湖面が凍結することから安全のためフェンスを張っているそうです。このため一時「わかさぎ漁」が行われていたが現在は休漁となっているそうです。
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角間温泉「岩屋館」
国道144号線に戻り西に走るとゆるやかな県境の峠「鳥居峠」を越え、長野県上田市に入りました。次の寄り道は角間温泉の「岩屋館」です。温泉の案内板を見つけ、山道に入り、角間渓谷―渓谷というほどのものではない―を走り、突き当りに岩屋館がありました。山のなかの渓流沿いの一軒家の中規模温泉宿でした。玄関で声をかけたのですが、誰も出てきません。この宿は「日本秘湯を守る会」の会員で、知名度は高いらしい。外から観ると本館の奥に新館があり、公式サイトを観ると、内観は山小屋風ではなく高級旅館風です。
観ただけでの判断は控えるべきでしょうが、お薦めしたい温泉宿ではありません。前日の「法師温泉長寿館」のインパクトが影響しているようです。
なお同じ長野県で志賀高原の入り口にあたる山之内町に古い湯治場の「角間温泉」があります。林芙美子が戦中に疎開したとして知られ、私も訪ねたことがあります。
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戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」
画像上田市の市街地に入りました。国道沿いは日本各地にあるありふれた殺風景な都市空間でした。「別所温泉」は上田市内ですが、宿に直行しないで「戸倉(とぐら)上山田温泉」の「笹谷ホテル」に向いました。
千曲川の右岸に沿った国道18号線を北に走りました。「歓迎戸倉上山田温泉」の看板を発見して左に曲がり、千曲川をわたると温泉街でした。比較的規模の大きなホテルや旅館が並んでいました。その北の端に「笹屋ホテル」がありました。
「笹屋ホテル」に関心を抱いたのは、たまたまネットでホテルの大浴場の内観のユニークさでした。また老舗旅館の「笹屋ホテル」は、洋風のホテルに数寄屋造りの和風の客室を導入したことでも知られていました。それが「豊年虫(ほうねんむし)」と呼ばれる別棟です。ホテルのサービスの質は高いようですが、一人旅プランがなく、泊まることはないようです。
なお「豊年虫」はカゲロウの意で、小説家志賀直哉がこの宿で執筆したとしてホテルが借用した名称です。志賀直哉の小説は読んだことがありません。ネット情報では短編小説「豊年虫」は内部から腐敗する人間の姿を描いたものだそうです。
また古い順に「戸倉温泉」「上山田温泉」「新戸倉温泉」の三つの温泉が隣接してあることから「戸倉上山田温泉」と総称するようになったようです。千曲市主導の名称なのか、この温泉名での温泉旅館組合がなく統一を欠いているようにも受け取られます。

無言館 
画像戸倉上山田温泉から千曲川の左岸を南に走り再び上田市に入りました。チェックインするまでの時間的余裕があったので、直行しないで「上田電鉄別所線」の駅舎を観たり、車で徘徊していると「無言館」の道路案内を見つけました。テレビで一度耳にしたことがあり、戦中の美術学校の学生で戦死病死した人の絵が展示されているところと理解していました。
カーナビ情報の電話番号で電話して見学できること確認して向かいました。小高い丘の上にコンクリート壁の教会風の建物がありました。
内部は十字型の空間で壁に亡くなった学生の絵が数多く展示されていました。見学者または鑑賞者は私一人で2回回って観ました。
風景、静物、家族、美人、裸婦などの絵画は優れたものが少なくないとの印象ですが、何がひっかかる疑問が湧いてきました。そもそも無言館を訪ねようとした私なりの理由は、この間の私の生きるうえでの二つのテーマ―「無神論」と「なぜ日本人は先の戦争を受け容れてしまったのか」―の後者に関連するものだろうと考えたからです。これは単なる歴史学的考察の留まるものでなく、今日的には「なぜ日本人は原発を受け容れてしまったのか」であり、さらに近未来的には「再び私たち日本人は戦争に至る道を歩んでいないか」というテーマにもつながると考えています。

戦前、美術学校の学生は比較的裕福な人たちだろうと思います。彼らは絵を学びながら、押し寄せてきたであろう戦争の足音をどう認識し、どう行動したのかを知りたかったのですが、展示された絵画からほとんど読み取れませんでした。展示されている絵画は比較的平和で穏やかな日本の風景や人物像であり、裸婦の絵も少なくなかったのです。彼らが生きた時代に戦争の断片があったはずで、そうした姿を描かなかったのか、絵はあったが展示しなかったのかよくわかりません。「無言館」の前に「戦没画学生慰霊美術館」という説明的修飾語が置かれています。人生を謳歌したい画学生と、現実は悲惨な戦争で若くして亡くなったという悲劇を対峙させようとの意図がこの美術館にあるだろうと推測しました。美術館という限られた空間に、画学生の数多い作品からどのような基準で選別され展示されたのか、よくわかりません。画学生のなかには戦争を賛美した絵画を描いたとしても当然だったでしょう。そうして戦争賛美の絵画を展示すること美術館の趣旨に反するだろうし、残された家族も快くは思わないかと考えます。本当は生活のなかに入り込んできた軍国主義と他人を殺すことになる戦争の足音のなかで、あるいは賛美し、あるいは苦しみ、あるいは逃避したであろう画学生の姿を浮かびあがらせるような無言ではなく「語り掛けてくるような館」であるべきではと思うのです。

我が国には全国各地に夥しい数の美術館、博物館、資料館などが在ります。それぞれ限られた空間に何をどのように展示するかの基準には主催者の思いや期待や思想、あるいは経営感覚が入り込みます。客観的で公正な展示などありえないのです。ということを最近強く意識するようになるなかで「無言館」を観て疑問が湧いてきました。感動して無言で館を後にしたわけではありません。
無言館を出る時、入館料か寄付金かどうか忘れましたが、受付に500円を渡しました。そこには無言館に関連する本が数冊展示販売されていました。私の疑問を解くために買って読めばよいのでしょうが、限られた余命のなかでそんな余裕は今の私にはありません。よって勝手に推測した上記に指摘は間違っているかもしれないことと断っておきます。

塩野神社
画像「無言館」の在るこのあたりの千曲川左岸の河岸段丘地区は「塩田平(しおだだいら)」と呼ばれています。鎌倉時代の北条氏一族が支配し、塩田城があり、城下町として栄え、それを物語るいくつかの宗教施設―安楽寺、中禅寺、北向観音など―が点在し、長野県内でも特異的な宗教地域と思われます。今回、「塩田平」を車で移動していると仏教寺院とは別に、「塩田神社」を見つけました。高い杉の木立のなかに木造の太鼓橋、その奥に拝殿と本殿が配置されていました。一見したところ飾らない木造の社殿ですが、細部にわたり彫刻がほどこされた豪華ではない絢爛な造りでした。本殿の周囲に全国区的な神社―諏訪、八幡、伊勢など―の神を祀った摂末社が点在していました。
祭神を「すさのをのみこと」などとする塩野神社の歴史は古く1000年以上だそうです。現在の建物は江戸時代のものとのことです。この神社がこの地に長く存在した背景として、境内から湧き出る塩野川が雨の少ない塩田平を潤すことから、水そのものが信仰の対象となり祭神として崇められてきたことによると思われます。この長野県でも雨量が少ないこの地方(同時に千曲川周辺では氾濫頻回)は、ため池が多いことでも知られています。ポピュラーな祭神と地元が頼りにする「水という神」とのコラボの生み出した地域密着型神社なのでしょう。

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別所温泉「花屋」
別所温泉に近い塩田平で予定外の遭遇を楽しんだ後、その日の宿「別所温泉花屋」に着きました。大きな和風温泉旅館の「花屋」を宿に選んだのは、先の泊まった岡山県の「奥津荘」の主人が薦める全国の温泉宿の一つだったからです。
大きなガラス戸を開けると歴史を感じさせるロビーがあり、その先にサロンと庭がありました。チェックインの時、奥津荘のことを伝えようと支配人を読んでもらいました。彼は奥津荘のことは知らないとのことでした。
広い廊下から本館の階段を上がり客室に案内されました。落ちついた広い部屋で、縁側かみる旅館の敷地は広く、さまざまな形の日本家屋が組み合わさった特異な形の温泉宿で、メインテナンスはほぼ良好でした。
早速、大浴場に向かいました、入り口が二つあるのですが、混浴ではありません。大理石風呂は戦前に流行った内観の大きな浴場に二つの浴槽が在りました。泉質はよろしい。
1917年創業の「花屋」は、広大な敷地に43の部屋があり、木の渡り廊下で結ばれていました。もう一つの大浴場は木がふんだんに使われガラス窓越しに庭が見えました。もう一つは露天風呂で岩と使った情緒ある造りでした。
食事ですが夕食は外観が城郭のような建物の広い食堂で、朝食は山小屋風の広い食堂で頂きました。外観は和風旅館としながら、館内では和洋折衷的な趣向が凝らされていました。料理は申し分なかったのですが、「京料理もどき」で地元の郷土料理や伝統料理が少なかったのは残念でした。
さらに残念に思ったことは、大きな広い温泉旅館の割りに従業員が少ないのです。フロントに従業員が立っていることは稀でした。またフロントに居た若い女性従業員が夕食時に食堂で配膳していました。これは旅館を運営する企業の方針なのか、この地の温泉旅館に勤務したい女性が少ないのか、彼女らの労働条件が悪いのか、よくわかりません。宿でゆっくり、のんびり過ごし温泉を楽しみたいという宿泊客にはこの体制でよいのかもしれません。宿泊客は50人ほどでした。
別所温泉「花屋」は泊まってみる価値はあり、温泉街も一応形を成していたと推測します。
アクセスですが、自動車を利用しない場合、北陸新幹線の上田駅から上田電鉄別所線に乗り換え、1時間2本程度の頻度の電車で30分ほどで別所温泉駅に着きます。駅から花屋までは徒歩おおよそ5分です。
(Dへつづく)
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画像説明:地図(@法師温泉A猿ケ京温泉B富沢家住宅C四万温泉D川中温泉E八ッ場ダム工事現場F「もり亭」G田代湖H角間温泉I戸倉上山田温泉J無言館K別所温泉)、赤谷湖と猿ヶ京温泉(湖の周囲に温泉宿が点在、遠景は谷川連峰)、富沢家住宅、四万温泉全景、積善館(右の1877年の宿、左は現在の宿、一階が「元禄の湯」)、積善館元禄の湯(写真のようにきれいではない)、川中温泉(道路からの光景)、八ッ場ダム(ダム本体工事を望む)、コンクリート橋(左:完成した3つの新しい橋、ダム工事現場から川上を望む、対岸の川岸近くに古い吾妻線が見える。右:建設中の橋2008年現在)、山腹の新しい住宅地、河原湯温泉「玉湯」の現在と過去、対岸の山腹に新設された河原湯温泉駅、とんかつ「もり亭」(内観、奥のカウンターのなかにマスターの姿)、田代湖(遠景は浅間山)、角間温泉「岩屋館」、戸倉上山田温泉(下が温泉街、その先が千曲川)、笹屋ホテルの大浴場の一つと豊年虫の廊下、無言館(外観と内観)、鳥居と太鼓橋(塩野神社)、拝殿と本殿(同)、別所温泉駅、花屋(左上:入り口、左下・本館廊下、右上:大理石風呂、右下:本館客室)。

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