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<<   作成日時 : 2017/05/29 02:33   >>

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4日目:別所から下呂
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4日目のおおよそのルートは、別所温泉から鹿教湯温泉を通過して松本のホテルに寄り、上高地の手前で野麦峠に向かい下呂温泉に至るというものでした。しかし野麦峠は岐阜県側が通行止めで越えられませんでしたが、代替の道でいろいろ発見もありました。

鹿教湯温泉
画像翌日は快晴。「花屋」から次の訪問地「鹿教湯(かけゆ)温泉」に向けて出発しました。別所温泉から松本へのルートを調べていると「鹿教湯温泉」が近くに在ることがわかり寄ることにしました。
私が堀川病院に勤務していた頃、長野県で農協を母体とした長野厚生連(現在はJA長野厚生連)の医療機関として「佐久総合病院」と「鹿教湯病院」が際立った医療活動をしていることを知りました。前者はいわゆる「地域医療」で先駆的で病院で、後者は「安静を避けた積極的リハビリテーション」を目指した病院として知られていました。両病院とも訪れたことはありません。鹿教湯温泉とその病院の外観だけでも観ることにしたのです。
別所温泉街から裏手の山道を走り、峠を降りたところに鹿教湯温泉が在りました。大小のホテルや旅館が民家と混在してあり山間部の温泉街を様相でした。そのなかに際立つ高層の白い建物が鹿教湯病院でした。
鹿教湯病院は、現在、「長野県厚生農業協同組合連合会」の医療施設で「鹿教湯三才山(みさやま)リハビリテーションセンター」の中核で病床数は461です。
温泉街は落ち着いた明るく、療養地の雰囲気がありました。道路脇に「温泉街は保養温泉地なのでゆっくり走行してください」との注意書きの看板が立っていました。

三才山トンネル
画像鹿教湯温泉から国道254号線(東京都文京区・松本市間)に移り、坂道を上り有料の「三才山トンネル」を通りました。国道の一部の約8キロのトンネルは「長野県道路公団」が管理する有料トンネルなのです。この公団はこの他に3つのトンネルと3つの道路を有料として管理しているのです。国の道路を県がトンネルを造ると有料にできるというからくりが理解できません。長野県の役人の天下り先として使われているかもしれません。
ネット調べると、県や市単位で現在、「地方道路公社」なるものが32団体あります。京都府もありました。
通行料510円のコイン入れに投げ、トンネルを抜けるとまた有料の「松本トンネル」がありました。大型車向けに夜間騒音対策に松トンネルの利用を勧める看板がありました。無視して無料の一般道路で松本市街に入りました。

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松本ホテル花月
画像松本は街中にある「松本ホテル花月」がいわゆる「クラシックホテル」に準ずるとする評価があることを知っていたからです。ホテルの前の駐車場に車を停めて、別館の「喫茶室:八十六温館(やとろおんかん)」で昼食には少し早いがモーニングセットを食べました。
この喫茶室の内観は「松本民芸調」と呼んでよいでしょう。こうした松本民芸らしい内観は本館のロビーやレストランでも同様でした。
松本ホテル花月は、名前からして古そうなホテルで創業は1887年です。3年前にリニューアルしたそうでより松本民芸調を強調したホテルにレベルアップしたのでしょう。
このホテルのネットで調べていると、ホテルの経営、運営、企画のコンサルト企業で東京に本社を構える「アゴーラ・ホスピタリティーズ」が関わっているようです。この企業は先に訪れた「野尻湖ホテル エルボスコ」にも関与しているようです。星野グループのようにホテル経営に直接に介入しないでコンサルティングを担当しているようです。
この松本のホテルは一人旅プランもあり大浴場もあり、松本城にも近く「中町通り」というかなり手を加えたらしい古い町並みもありということで機会があれば泊まりたい。
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龍門堂
画像ホテルの中の小さな民芸品店「tsumugu」を覗いたら、多くはないがいくつかの木曽漆器が展示・販売され、取っ手付きの赤の漆器茶碗が安いので買いました。質のよい漆器で安いので業者を聞くと塩尻の業者だというのです。
帰宅後、調べると「龍門堂」という業者とわかりました。同社は戦前、上海に工場を持ち、その時の責任者が「張」という人で、戦後、その息子さんが同社の日本に在る工場で20年間勤め修行したというのです。その「張」さんは、1996年帰国し、同社の工場を建て、現在に至るというのです。質のよい漆器茶碗が安い理由が分かりました。
中国で大量に生産した漆器を日本に輸入し、少し手を加えて日本産の○○漆器と名乗っている業者がいると聞いたことがあります。龍門堂はその種の業者と納得しました。


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新島島駅
松本から野麦峠に向かい国道158号線(松本市・福井市間)を西に走りました。松本電鉄上高地線と上高地から流れ出る梓川の間の国道です。飛騨山脈または北アルプスがどんどん迫ってきます。上高地線の終点「新島島駅」過ぎると、いよいよ山岳道路へと変貌していきました。数多くの大型トラックともすれ違いました。

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三つのダム
上高地を流れ下った梓川の水は、三つのダム湖―上流から「梓湖」(または「奈川渡(ながわど)ダム湖)、「水殿(みどの)ダム湖」、「稲核(いねこき)ダム湖」―に順次蓄えられ、水力発電所に流されます。3段連結システムの三つのダムは1969年から70年にかけて完成され比較的新しい東京電力の水力発電所と知りました。同じ東京電力が福島第一原発一号機の発電を始めたのは1971年のことです。
水殿ダム湖の湖岸を走りトンネルに抜けると梓湖に湖岸に出て、左に折れ県道を走りました。

野麦峠
画像走る車は極端に減り、前を走っていた大型トラックもいつの間にか姿がみえなくなりました。この「野麦街道」とも呼ばれるこの県道で、先の「白骨温泉の旅」のとき木祖村から反対方向に走り、間違って乗鞍岳のスーパー林道に入ってしまいました。その三叉路の在る奈川(ながわ)の集落を通過し、さらに進むと「野麦峠」と「木曽福島・木祖」とに分かれる道に差し掛かりました。「野麦峠」方向にまっすぐ走しり、しばらく進むと「野麦峠までは開通、その先は通行止め」との道路情報の看板を見ました。ここまで来て野麦峠に見ない理由はないだろうと、とにかく峠までは行ってみることにしました。小川に沿った坂道を走ると、右手に「旧野麦街道」の案内板がありまた。車から降りみると、その傍らに少し石が敷かれた山道がありました。

画像さらに上ると急な勾配の道は蛇行を繰り返し、野麦峠(標高1670メートル)に着きました。高山方面の峠の道は確かに通行止めでした。土砂崩れによると後に知りました。
峠には、木負子に娘を座らせた男性の石像、資料館、食堂、展望台などがありほとんど観光スポットでしたが、開いた店はありませんでした。観光客は10数人見かけましたが、なぜか男性ばかりでした。

先の「白骨温泉の旅」で初めて野麦峠のおおよその場所を知りましたが、往復する余裕はなかったのです。帰宅後、野麦峠を映画「あゝ野麦峠」で学習しました。山本薩夫監督、大竹しのぶ主演の1979年のこの映画をレンタルビデオで観ました。映画のなかの圧巻の場面は、飛騨地方から雪積もる冬の野麦峠を越える数多くの若い女性たちの姿でした。

画像明治政府の殖産興業の一環として輸出品の生糸の生産に力を入れ、長野県の諏訪や塩尻の製糸工場で働くため、岐阜県の女性達がこの峠を越えたのです。そのなかには、岐阜県に戻って新たな生活を営んだ女性もいれば、長野県で過労と病で倒れた女性もいたのです。大竹しのぶが演ずる女性は病に倒れ、何日もかけて兄が迎えに来て、木負子に座らせ何日もかけて故郷へ連れて帰ろうとしたが途中に息絶えるという悲しい話も折り込まれていました。
ところで映画の圧巻の場面の撮影は、野麦峠ではなく郡山市東部に在る「御霊櫃(ごれいびつ)峠」であったことは知られています。映画では峠から眼下に諏訪湖が見える設定になっていますが、実際、野麦峠に立ってみても諏訪湖は観えませでした。御霊櫃峠から観たる猪苗代湖でした。このことは、ロケに参加して地元の女性がネットで証言しています。

開田高原 
画像野麦峠から下呂への最短コースとして、木祖村へ向かい国道19号線(名古屋市・長野市間、一部が中山道)に出て南西に走り、木曽町で国道361号線(伊那市・高山市間、一部が木曽街道)に移り北西に走り国道41号線に出て、下呂温泉に至る道に決めました。先の「白骨温泉の旅」で木祖や木曽福島は逆コースで既に走った経験があり、問題なくJR中央本線の木曽福島駅に着きました。ここからは初めての道でした。


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緩やかな国道を走り、峠を越えると高原のような光景が広がってきました。この一帯を開田高原と呼び、標高が1100から1300メートルの高地にあり夏でも涼しく、農業の他は観光地として売りだしているようです。高原の峠のひとつ「九蔵峠」(標高1280メートル)からは雪を頂く二つ山を観ることができました。一つは乗鞍岳、一つは御岳でした。こうした光景は開田高原でなければ観ることができないのでしょう。
開田高原は農地や牧場が広がっていますが、以前は優れた木材とされた「木曽檜」はこの開田高原に森林でおおわれ伐採した檜を運ぶ森林鉄道が縦横に走っていたそうです。
開田高原の「長峰峠」を越え岐阜県高山市に入りました。左手にダム湖を望みながら橋を越えた所に「野麦峠」の案内板がありました。グーグルマップで調べると野麦街道の長野県側と岐阜県側に沿って三つほどの集落が確認できます。この街道はこれらの集落の生活道路としての他は観光道路なのでしょう。
高山市の公式の観光サイトに5月28日開催の「野麦峠祭り」の案内が載っていますが高山市側からは復旧工事中で通行できないため長野県側の道を勧めています。松本市の観光サイトには「新緑の野麦古道を、往時を偲び工女姿の女性や子供達と記念山行が行われます」と「野麦峠祭り」の案内が載っています。

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下呂温泉湯之島館
さらに二つのダム湖の湖岸を走り、高山市街地と下呂方面の三叉路に着き、下呂の方に進みました。国道41号線(名古屋市・富山市間)に出て、JR高山本線上呂駅あたりまで来ました。チェックインするにはまだ早いと飛騨川の橋を渡り、対岸のいくつかの集落を抜けると下呂駅前に出ました。飛騨川両岸の下呂温泉街を車で観察し、かなり温泉街の形が整い中心部が空洞化しているという光景は少ない優良温泉街と認識しました。
下呂温泉街の左岸側の狭い通りを抜け、急な坂道を上ったところに「湯之島館」が在りました。
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古い和風温泉旅館の構えの玄関を入り、チェックインを済ませ、若い男性客室係に部屋まで案内されました(学生時代、休学して下田の温泉旅館で1年間働いたのを思い出して戸惑った)。古い部屋ですが清潔で、縁側から太く高い杉の間の下呂温泉街を一望できました。部屋にある館内案内図を観て、複雑な構造に戸惑いました。広く複雑で迷路のような旅館の構造を活用して「館内スタンプラリー」が楽しめるというのです。入浴の前に館内のオリエンテーションを確かめるため、案内図を片手に回ってみました。驚きの湯之島館でした。当初はそれほどめずらしくない和風3階建の温泉旅館と思い込んでいました。確かに玄関に近い本館部分は和風な珍しくはない内観でした。しかしそのなかに趣向を凝らし「春慶塗」で統一したという離れ的客室もあり、一軒家的な「七重八重之間」もありました(これらは宿泊客があり見学できなかった)。これらは驚くに値しないしませんでした。
ところが本館の後部に洋風の施設があるのには驚きました。開業当時ダンスホールだったクラブ、洋風のビリヤード部屋や卓球部屋があり、4つの異なる趣向の洋風の家族風呂(開いているといつでも無料で利用可)、さらに洋風の会議室とサンルームがあるのです。その外部の広い洋風のバルコニーに足湯もありました。さらに館内を探索すると「民芸館」と「茶室」を発見しましたが閉鎖中でした。飛騨川を望む山の中腹に和洋折衷の規模の大きな温泉旅館でした。

画像1931年にこの地で創業した湯之島館は高山本線下呂駅の開業に合わせて計画されたものです。靴で成功した企業(現在の「マドラス」)の実業家岩田武七が、日本に誇れる温泉施設を構想し、当時、新鋭の建築家丹羽英二(現在の丹羽英二建設事務所の創始者)が木造和風建築と近代洋風建築のコラボをテーマとして設計し、木造と鉄筋コンクリートを合わせた建物を造ったのです。現在の館内には創業時の姿がかなり残っているのです。テニスコートもあったそうですが、戦後、鉄筋コンクリートの新館が増設されました。
戦後の1949年、政府は外国人旅行者が安心して泊まれる基準を満たした宿泊施設を「国際観光ホテル」として登録制にしましたが、湯之島館は1951年、基準を満たし登録第8号でした(ちなみに1号は帝国ホテル)。
さらに湯之島館の評価ですが、大浴場は十分に広く泉質は申し分ありません。また夕食は部屋で頂き、朝食は大きな大広間で頂きました。料理も合格でした。スタッフですが、やや少ないとの印象でしたが、おおむね良好でした。
私の知る限り、はわが国で戦前からこれほど多彩な和洋混合の温泉旅館はないでしょう。困難と思われるメインテナンスもよくやっていると感心しました。
ネットで盛んなホテルや旅館のランキングで下呂温泉の場合、湯之島館は3位あたりです。その1位や2位の旅館をネット情報で判断すると、サービスの質は高いようなので、他の温泉地にもある「高級和風温泉旅館」のひとつに過ぎないようです。しかし湯ノ島館は他に類がないのです。日本の温泉文化の花が咲いた施設をメインテナンスに努めながら宿泊客が楽しるように活かしてほしいと思います。
(Eへつづく)
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画像説明:地図(@別所温泉A鹿教湯温泉B三才山トンネルC新島島駅D奈川渡ダムE野麦峠F九蔵峠G)、鹿教湯温泉(高く白い建物が鹿教湯病院)、三才山トンネル(東入り口)、松本ホテル花月(外観:左が本館、右が別館、フロント・ロビー、喫茶室「八十六温館」)、松本市中町通り、木曽漆器(取っ手付き紅茶カップ、龍門堂製)、新島島駅(手前が国道158号線)、奈川渡ダムと梓湖(遠景の湖岸道路の右方向は野麦峠、ダム天端の手前方向は上高地)、旧野麦街道道標(長野県側)、野麦峠の石碑と県境の標識、映画「あゝ野麦峠」のポスター、御霊櫃峠(遠景は猪苗代湖、この場面が映画に出る)、木曽福島駅、開田高原から御嶽山を望む(牧場の馬は木曽馬らしい)、下呂温泉の中心部「波多野通り」、下呂温泉夜景(飛騨川右岸より望む、赤い光の部分が湯ノ島館)、湯ノ島館の玄関、湯ノ島館(左上:本館の外観、3階の部屋に泊まる、右上:クラブ、左下・館内の足湯、右下:左大浴場)。

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