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zoom RSS 静岡県の三つの温泉―梅ヶ島・寸又峡・舘山寺―の旅(中)

<<   作成日時 : 2017/06/10 20:56   >>

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安倍川から大井川へ向かう
画像2日目も晴天でした。梅ヶ島温泉から安倍川の川沿いを下りました。途中、道に駅「真富士の里」が開いていたので、安倍川沿いの新茶を求めて入りました。この地区の「やぶきた」のブランド茶「本山(ほんやま)茶」の新茶を買いました。まだ飲んでいません。


井川ダム
画像安倍川の中流あたりの架かる「玉機橋」を渡り、安倍川の支流「中河内川」に沿って坂道を走りました。いくつかの集落、数多くの茶畑を通過し、杉の森の中を走ると「富士見峠」に着きました。富士山、赤石山脈(南アルプス)も雲で観えませんでした。下り坂の先に大きな井川ダムとダム湖「井川湖」が在りました。
画像天竜川の佐久間ダムとほぼ同じ時期の1957年に完成した井川ダムは、中部電力の主要な発電用ダムです。苔むすコンクリートのダムとダム湖のありふれが光景でした。これまで観てきた日本の山間部の多くのダムとダム湖には何故か感動を覚えず、例外なく無味乾燥な光景でした。ダム湖に水没する集落の住民たちは湖の近くで暮らしているそうです。人間のなす空しい姿と思いました。 
観光列車の大井川鉄道の支線「井川線」はこのダムを造るための労働者と建築資材の運搬用の鉄道を転用したものですが、所有権は中部電力に有るそうです。
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赤石温泉
画像宿に直接無化にはまだ早すぎるので、宿とは反対方向の在る「南アルプス赤石温泉白樺荘」に向かいました。井川ダム湖のほとりの道を走りました。途中、ダム湖で沈んだ地域の住民たちの代替地と思われるまとまった住宅地もありました。
画像よく整備された山道を走るとさらに奥にまたダムとダム湖がありました。発電用畑薙(はたなぎ)第二ダムで、井川ダム完成後、大井川水系で建設されました。さらに上流により大きな畑薙第一ダムも建設さました。ネット情報では、さらにその上流で大井川の最上流に「田代ダム」は最も古く1928年の完成だそうです。よくもこんな山中にコンクリートの巨大な塊を造ったものだと思いました。まず、道をどのように造ったのか、コンクリートをどのように運んだのか想像を超えています。日本のダム建設で重機が本格的に導入されたのは佐久間ダム工事と言われています。奥深い山中でどのような生活を営みながら、どのように建設に従事したのでしょう。
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二つの畑薙ダムの間に新しい山荘「赤石温泉白樺荘」がありました。静岡市が運営する施設で日帰り温泉と宿泊施設を兼ね、赤石山脈の登山口にもなっているそうです。ここの温泉に入りました。肌にぬるぬるする心地よい温泉を私一人の貸し切り状態の広い浴場で楽しみました。露天風呂からは雪を頂く山山を望むことができました。寝そべって悦楽のひと時を過ごしました。
露天風呂から観た高い山が、先の旅で大鹿村から見た「赤石岳」(3121メートル)か、はたまた「聖岳」(3013メートル)か、と期待しました。確かめるべく山荘のスタッフに聞いたら「茶臼岳」(2604メートル)と知名度も標高も低い山だと知ってちょっとがっかりでした。
白樺山荘で昼食に「ヤマメ入りのおろしそば」を食べました。そこそこの味でした。

川根本町
画像井川ダム方面に引き返し、「井川駅」の手前で右に坂道を上り、整備が不揃いな県道を寸又峡温泉に向かって走りました。この界隈は初めて聞く自治体名「川根本町(かわねほんちょう)」の区域で、なんとなく異なった雰囲気を感じました。途中通過した小規模な「接岨峡(せっそきょう)温泉」は、温泉宿が集落のなかに混在した小ぎれいな温泉地でした。この町一番の温泉地「寸又峡温泉」もまた中規模できれいな温泉地でした。
人口7000人ほどの山間部のこの自治体は、公式サイトで「日本で最も美しい村連合」に加盟していることを知りました。先の旅で驚いた長野県のうつくしい大鹿村もこの連合に加盟しています。また、観光協会も「川根本町まちづくり観光協会」と自称し観光と町づくりを共存させようとする意図を感じます。
静岡茶のブランドの一つ「川根茶」は大井川沿いの気候を活かした茶で、この町が誇るブランドでもあります。
日本で最も美しい村連合の自己紹介の「未来に残したい川根本町の特徴」として以下の通り表明しています。

≪銘茶川根茶の茶園景観≫
大井川から立ち込める川霧と切り立った渓谷。この地域の自然環境が上質なお茶を育む土壌となり、農業と環境との共生が評価され世界農業遺産として認定された伝統農法である「静岡の茶草場(ちゃぐさば)農法」が銘茶川根茶を作り出しています。
大井川沿いに広がる茶園や高地に存する「天空の茶園」など、多様な茶畑の景観が広がり、特に新芽が芽吹いた春の茶園は、やわらかな光に照らされ、まばゆいほどに輝きます。人々は摘採・製造に精を出し、町のあらゆるところから山間の新茶のさわやかな香りが
漂い、町は活気づきます。川根茶は、町の基幹産業であると同時に町のシンボルであり、この地に住む人の誇りとなっています。


町内に在る大井川水系の多目的ダム「長島ダム」の傍を通り抜け、寸又峡温泉に向かいました。

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寸又峡温泉
静岡県内ではよく知られているはずの寸又峡温泉へのアクセスは意外の厳しかった。車一台がやっと通れる崖路も何カ所かありました。温泉地のアクセスはこの道路が由一なのです。途中、2,3カ所で道路工事が行われていましたが、悪路が解消するには何年もかかるでしょう。あるいは、温泉地での私の推理ですが、寸又峡温泉をきれいに現状維持するため、あえてアクセスを悪くしているのではと思いました。その裏付けの一つとして温泉地の主要な景観地であるダム湖(戦前造られた発電用「大間ダム」)とそこに架かる吊り橋―「夢の吊り橋」―へは温泉地の中心から歩いてしか訪れないようにしているのです。あえて不便なままにしているように受け取ったのです。
全行程を歩く自信がなかったので途中でダムとダム湖と吊り橋を観て引き返しました。歩いて一巡したらしい若い二人連れを何組も見かけました。

画像さらにこの温泉地の「寸又峡美女づくりの湯観光事業協同組合」は以下の三つの原則を堅持しています。
◎芸者やコンパニオンは置かない、
◎ネオンサインはつけない、
◎立て看板は設置しない


明治時代から知られた湯治場だったそうですが、戦前はダム工事の労働者たちを相手の温泉宿があり、戦後は新たに泉源が見つかり観光地としての温泉街が形成され、その後ある事件で全国的に知られるようになったのです。
アクセスですが、戦前は温泉の在る寸又峡のさらに奥に発電用「千頭(せんず)ダム」の建設の工事用鉄道「千頭森林鉄道」が、現在の大井川鉄道本線の終点「千頭駅」から寸又峡を経由して工事現場まで走っていたそうです。戦後、一時期運行して観光客を運んだどうですが、安全運行が保証できにくくなったためか廃止され、現在も鉄道はありません。
こうした背景のある寸又峡温泉ですから、大手の観光業者が敬遠してきたことで、現在の寸又峡温泉があると思いました。

翠紅苑
画像寸又峡温泉の十数軒の宿のなかで予約したのは「翠紅苑」です。当地の宿泊施設としてAクラスと思いましたが、泊まってみると必ずしもAクラスではなかったのです。鉄筋コンクリート造りの3階建の建物は本館と別館に分かれ、内観は凝ってはいるのですが、傷みや汚れが気になります。同じく大浴場も綺麗とは言えません。ただし夕食と朝食はほぼ申し分なく、品数が多いのに驚きました。料理人のレパートリーはかなり広いようです。
しかしこの宿もスタッフが少なく、なんとなくよそよそしい対応もまた気になりました。1962年にこの地で創業した地元企業の翠紅苑ですが、すばらしい寸又峡温泉を代表する宿としてスタッフ教育も含めもう少しレベルアップしてほしいと思いました。

寸又峡事件
寸又峡温泉を宿泊先に選んだ理由の一つが「寸又峡事件」または「金嬉老事件」です。
改めてネットで事件について調べ、私なりに以下のとおり経過をまとめてみました。

1928年在日二世として金嬉老は静岡県に生れ、幼少時は母親との生活はかなり苦しかった。戦後、前科ある在日として掛川で暮らしていた金嬉老は、1968年2月、借金返済を求めてきた組関係者と清水市(現・静岡市清水区)のクラブで会う約束し、ライフル銃で二人を射殺した。地の利が悪いためか寸又峡温泉に逃げ、旅館の家族と宿泊客―工事関係者−を人質にして銃の他ダイナマイトも持って立てこもった。この間、警察と電話で交渉したり、テレビに電話出演としたり、旅館で記者会見を開いたりして、在日朝鮮人の差別を訴え、マスコミの注目するところとなった。旅館には新聞やテレビの記者が集まり、記者がライフル銃を撃ってみてと頼むと、快く撃ったりして「親しい関係」になった。連日のマスコミの報道で幼少時から差別に苦しんだ在日朝鮮人が起こした事件として好意的に受け止められ、「知識人」らも同情する声明を発表した。事件5日目に記者団に紛れ込んだ複数の刑事が金嬉老を取り押さえて、一件落着した。浅間山荘事件の報道のようにリアルタイムで事件が報じられ、さらに記者らが主犯に直に会って報道するという特異は報道合戦となった。裁判の結果、1975年無期懲役が確定し刑務所で収監された。
1999年韓国へ渡航し帰国しないとの条件で仮出所し強制送還された。韓国では差別と闘った英雄として歓迎され、結婚もした。しかし2000年女性に絡んだ事件を起こし殺人未遂として逮捕され、「民族の英雄」金嬉老の人気は落ちた。2003年まで刑務所で暮らし出獄した。日本での生活を望むが実現しないまま2010年3月釜山の病院にてがんで死亡した。享年82。
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この金嬉老事件が起きたのは私の学生時代でしたが当時も在日朝鮮人への関心は乏しく、報道合戦の記憶はありません。
せっかく寸又峡温泉に来たので寸又峡事件の現場を見ておこうと翠紅苑の年配の方に尋ねると、宿から10数メートル離れた敷地にその旅館があったが、取り壊されて何も無いと話してくれました。旅館が現存する時は内部に資料室が在ったそうですが、私が確認した範囲では事件の痕跡は何も無かったのです。
地域にとって負の歴史は抹殺されるということなのでしょう。「歴史は作られる」という一つの事例を知った思いです。
さらに情報源として、日本人監督の大超寺明利氏が製作し2009年に公開された「実録ドキュメント893 日本にも裏切られ韓国にも裏切られた 金嬉老 最後の証言 日本人の生き方と韓国人の血が流れる男」 を「ツヤタ」のレンタルDVDで観ました。日本でも裏切られ韓国では暮らしにくそうで日本に帰りたいと語る高齢の金嬉老の元気そうな姿が映し出されていました。
(下へつづく)


画像説明:中河内川沿いの茶畑と集落、富士見の里(内観)、井川ダム(ダムの上は県道)、井川大橋(ダム湖に架かる吊り橋、通行は車一台まで)、井川駅と列車(電車は観なかった)、井川・畑薙第二・畑薙第一のダム(上が南方向、定期便で上空から撮ったネット上の画像)、赤石温泉白樺荘の外観と浴場からの光景(露天風呂からこれを観た)、根本本町の茶畑の姿(静岡県の茶マップに掲載の画像)、寸又峡温泉の入り口、「夢の吊り橋」(橋の下はエメラルドブルーと言われる「大間ダム湖」)、翠紅苑の玄関とロビーの一部(大正浪漫と自称する)、金喜老(ライフル銃を持って旅館に立てこもる、旅館での記者会見の様子)。

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