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zoom RSS 静岡県の三つの温泉―梅ヶ島・寸又峡・舘山寺―の旅(下)

<<   作成日時 : 2017/06/11 19:51   >>

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大井川鉄道
3日目も晴天に恵まれました。
寸又峡温泉から再び険しい山道を走り大井川に出て、その河口に向かいました。その途中、大井川鉄道の本線と井川線の乗換駅「千頭(せんず)駅」の前を通過し、大井川に沿って下り、大井川鉄道と東海道本線の乗換駅「金谷(かなや)駅」の駅前に着きました。大井川鉄道金谷駅は意外にあまりきれいではない小さな駅でした。

画像大井川鉄道は、もっぱら観光を目的とした鉄道としてよく知られ、名前のとおり大井川―中流―に沿った鉄道です。蒸気機関車、各地で走っていた私鉄の電車、トーマス号、あるいはアプト式の森林電車など多様な列車を走らせ、その人気は高いようです。しかし乗客数が低迷し経営的に苦戦しているとも言われています。
大井川鉄道の要の千頭(せんず)駅」あたりは観光客がまばらで、「金谷駅」も「井川駅」も人の姿がありませんでした。
画像今回の旅の計画で大井川鉄道の列車に乗ってみることも検討しましが、便数が少なく諦めました。実際、車で大井川周辺を川上から川下まで移動してみると、鉄道の以外に楽しめる場所も少なくなく、優れた風景に出会うと車を停めてしばらく楽しめたのです。大井川鉄道も観光スポットで電車を止めるそうですが、例外的です。決まったコースを決まった時間で移動する鉄道より車の方がはるかに大井川とその周辺を楽しめたと思っています。
旅の3日目、島田市内で大井川鉄道を2両編成に電車が走っているのを観ました。ネットで調べると南海電鉄高野線を走っていた外観の洒落た古い電車と知りました。

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蓬莱橋
金谷駅前から幅広い大井川の長ーい鉄橋を渡り、左岸を河口に向かって走りました。途中、木造の長い橋「蓬莱橋」(長さ約900メートル)をみかけ、観光客らが歩いていました。江戸幕府が江戸防衛のため橋を造らせなかった大井川ですが、明治時代に入り最初に架けられたのがこの木造橋でした(1879年)。度々、洪水で流され、橋脚だけはコンクリートにしたのですがが、これもまた流されたことがあるのです。観光目的の橋で車は通れません。

大井川河口
画像蓬莱橋は観ただけで、さらに河口に向かい、島田市から焼津市に入りました。大井川の河口とその先に拡がる駿河湾そして太平洋を確かめました。とにかく晴天でしたが風がとても強かったのが強い印象でした。
旅のテーマ「海岸線を走破する」に則ったコースですが、全国各地のいくつかの大きな川の河口を訪れたことがありますが、どこも捉えどころのないない不思議な光景でした。

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御前崎灯台
大井川で最も河口に近い県道の橋を渡り、焼津市から吉田町へ、そして牧之原市で国道150号線(静岡市・浜松市間)に移り、御前崎市に入りました。太平洋沿岸の丘にたたずむ白い御前崎灯台もまた風の強い荒涼とした風景のなかに在りました。

浜岡原子力館
画像御前崎を訪れたついでに見学すると決めておいたのが、「中部電力浜岡原子力発電所」に隣接する「浜岡原子力館」でした。浜岡原発は1976年に一号機が稼働を始め、現在、5号機まで在りますが、すべて運転終了か運転停止中でした。原発の見学はできませんでしたが、大きな白い「浜岡原子力館」は見学しました。驚きました。
驚いたことの一つは、原子力館の展望台から斜め下に浜岡原発の敷地がほぼ見渡せたのです。全国各地の原発のうちいくつかは近くまで行きましたが、原発の敷地を見渡せる展望台を備えた所は知りません。世界最大級の「東京電力柏崎刈羽原発」のように敷地周囲が有刺鉄線で囲まれ、いたるところに監視カメルが設置されていました。「近づくべからず、見るべからず」でした。
驚いたことの二つ目は、館内に実物大の原子炉模型が展示されていることでした。東電福島原発の原子炉のメルダウンについてテレビでよく解説されますが、原子炉の大きなと複雑さ構造についてよく理解できません。実物大の模型で説明されるとその規模がより具体的に理解できるでしょう。
驚きの三つ目は、使用済み核燃料などの高レベル放射性廃棄物の処理についての小さいながらも展示コーナーが設けられていたことです。私が原発の反対する最大の理由は高レベル放射性廃棄物の処理技術が確立していないことです。たとえ原発を安全に最長50年間稼働させた後、役立たないただのゴミとして少なくとも1万年あるいは5万年以上厳格に管理しなければならい、その方法を未だ私たちは見出していません。一見効率のよい核を燃やすことに手を染めてしまった人類はその灰の処理の方法を未だ知らないのです。後世に多大な危険と負担を強いる仕組みになっている原発が止めるべきであり、新たな建設しないことです。その廃棄物処理について原子力館はいくつかの技術―大気圏外に捨てる、海底に捨てる、陸上で管理するなど―を示し、そのうち地下400~500メートルに3重構造で封印された構造の核のゴミを管理するのが現在の科学技術では最も妥当であると解説されています。これが正しい解決方法か実験で確かめられはいませんが、私たちが高レベル放射性廃棄物を持ってしまった以上、より安全で後世に負担を掛けない方法で管理しなければなりません。そのための研究は進められるべきです。
この浜岡原子力館の三つの姿から中部電力のポリシーを感じ取ったように思いました。同電力企業のサイトも参考になります。
それにしても発電用ダムは長くて100年の歴史で収まるでしょう。原発は1万年以上でも収まらないでしょう。1万年先に中部電力が存在するのでしょうか。

浜岡原子力発電所
画像私が観た範囲でも日本各地の原発は、内陸や山間部には無く、すべて海岸沿い建てられています。冷却用海水が大量に利用できることと、敷地内に専用港を設置することで核燃料や核廃棄物のより安全とされる海上輸送が行えることとされています。ところが浜岡原発は浜辺に面してはいますが、専用港が在りません。近くの御前崎港を利用しているそうですが、その間の道路が意図的に封鎖されたらどうするのでしょう。
また冷却用海水の取水塔が沖合に見える形で在ります。この界隈は遠浅のためこうした方法で行っているようですが、取水塔が意図的に破壊されるとメルトダウン?
こうした安全性に問題がありそうな浜岡原発ですが、東日本大震災後の津波対策として海抜24メートルで長さが1600メートルの防波壁を完成させています。

浜岡原発の「浜岡」ですが、かつて浜岡町が在った地域で原発建設が始まったことによります。2004年、御前崎町と浜岡町が合併して御前崎市になったのですが、「浜岡原発」は残りました。どこに在るかわからないような原発名の方が、地名がよく知られた「御前崎原発」とするより、安全なのでしょう。北朝鮮が知らないで地名で、ノドンの標的にされにくいかもしれない、と勝手に想像します。

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南遠大砂丘
浜岡原子力館の展望台から西を観ると、砂浜が延々と続いていました。「南遠大砂丘」と呼ばれ、「日本三大砂丘」の一つで、太平洋側では最大級の砂丘だそうです。砂浜の長さからすると「九十九里浜」の方がはるかに長いが、砂丘ではないようです。根拠曖昧な日本三大砂丘のあと二つは「鳥取砂丘」と「吹上浜砂丘」(鹿児島県)だそうです。
この南遠大砂丘のなかで最も規模の大きな砂丘が「浜岡砂丘」です。土砂を多く含む天竜川の水が太平洋に流出し、遠州灘の強い北風で長い砂浜が形成されたそうです。もっとも農地は向かないこの砂丘の地で砂を制し、砂との闘いを続けながら農地を確保し農業を営んでいるそうです。

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大東温泉
画像海岸線から離れた国道150号線をさらに西に走ると「大東温泉シートピア」の案内板を見つけ、温泉を確かめたいと寄ってみました。茶褐色の温泉で珍しい。近隣の住人らしい人達が利用していました。
ちょっと気になる「大東」という名称についてスタッフに聞いたら、この地に在った「大東町」の名前と教えくれました。ちょっと異質で無味乾燥な大東町という自治体名を調べると、1973年に「大浜町」と「城東村」が合併してできた自治体名です。二つの自治体が合併するときの新しい名称でもっとも無難で安直なやり方は、足して二で割ったような自治体名ですが、全国各地に在ります。なお「大東町」は2005年の大須賀町と一緒に掛川市に吸収合併されて消滅しました。

清水邸庭園
画像国道沿いに「清水邸庭園」の案内板を見つけました。こんなところにどんな庭園があるのだろうと寄ってみました。
江戸時代中期に回船問屋で財をなした清水家の邸宅の一部が掛川市で保存公開しているものです。510円の抹茶セットを普通の客室でいただきました。その部屋に清水家の立派な輪島漆器などが展示されていました。
この庭園には本格的な茶室も用意されており、お二人の高齢の女性は和服姿で、もう一人の中年の女性は洋服でした。車で京都から来た観光客は私が初めてのようで話が弾みました。
私が前日、寸又峡温泉に泊まった話をすると、金嬉老が話題となり、現在彼の親族が掛川で高級焼肉屋を営んでいると話していました。また廻船問屋の話で江戸時代に庭の太い松のあたりまで海だったというのです。ちょっと信じがたい話でしたが、帰宅して調べる江戸時代の地震の影響で海岸線が下がったらしいことがわかりました。
1854年に東海から四国沖を震源とする安政大地震では御前崎で1メートルほど隆起しています。この時に津波で掛川城の天守閣が倒壊し掛川宿も焼失しています。昨今話題の「南海トラフ巨大地震」の最新の地震です。浜岡原発の防波壁は24メートルでよろしいか?

「北前船」に少し詳しい私からすると、江戸時代の大阪と江戸を結ぶ太平洋側の廻船は日本海の北前船と比べてより困難を伴ったようです。その日に経験したように江戸時代も太平洋側は風の強い日が多かった。さらに熊野灘や遠州灘のように荒れる海で先を争って菱廻船や樽廻船が行き交っていたのです。陸地が見えない航路を選ぶこともあり、一枚帆と舵で操船するための高度な航海術が求められていました。東海道など陸路が整備されていたとは運送量が格段に多い廻船は江戸と大阪の繁栄を支えていたのです。
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天竜川河口
国道150線をさらに西に走り、太田川を越えて、袋井市から磐田市に移り、さらに天竜川の最下流の架かる「遠州大橋」(有料で通行料100円)を渡り、浜松市に入ったところで、天竜川の河口を観ました。ダムの影響で海へ流れる土砂が少なくなり、河口周囲の海岸の浸食が進んでいると聞きましたが、よく確認はできませんでした。次回の旅ではまだ走ってない佐久間ダム以南の天竜川沿いを走る計画です。

浜名湖沿岸
浜松市内の海岸に近い道を走り、国道1号線のバイパスに出ました。無料で高速のバイパスのインターで降りて、弁天島を通過し、先の旅でお世話になった舞阪の「しらす専門店」の前を通り抜け、旧東海道の長い松並木を通り抜け、初めて車で浜名湖の沿岸を走り、ホテルに向かいました。

舘山寺
画像予約した宿「ホテル九重」は正面から屏風のような外観の大きな建物で、玄関へのアプローチもとてもきれいに手入れされていました。チェックインした後、「一人旅プラン」で朝食付きだったので、ホテルで夕食の追加注文はできないと聞き、周辺の鰻屋を紹介してもらいました。
その鰻屋に入る前、温泉名「舘山寺温泉」(地元の観光協会は「かんざんじ」と表記)の由来の舘山寺をちょっと見学しました。温泉街の北の端にある小高い山の中腹に曹洞宗の舘山寺がありました。もともと廃仏稀釈で廃寺となるが、再興されたそうです。弘法大師が絡んでいると寺の古さを強調し、大使ゆかりの「穴大師」は古墳の石室を利用した空間は眼病に効くと謳っています。現世御利益を前面に出した類の寺のようでした。ほとんど隣接し境内に在るといってもよい愛宕神社の社殿は、廃仏稀釈の歴史を物語るものでしょう。

うなぎの「志ぶき」
画像ホテルの勧めで入ってうなぎ専門店の「志ぶき」はホテルの坂を下った所に在りました。創業60年という店内はきれいで、既に10人ほどの客が入っていました。店員は中年の女性二人しかみかけません。注文した「並みの鰻丼」はなかなか出てきません。二人だけでやっておられるのかもしれません。食べた鰻丼は並みなりに美味しい関東風の蒲焼でした。浜名湖産の鰻は減っても、浜名湖周辺の鰻料理のレベルは高いようでした。




舘山寺温泉
舘山寺の鄙びた門前町であったらしいこの一帯は、1958年に泉源を掘り当て新しい温泉街としての開発が図らました。ボーリングでさらに複数の泉源を見つけられ、豊富な湯量を誇っているそうです。

遠鉄グループ
19軒の温泉ホテルや温泉旅館がありますが、その中核的宿泊施設が「ホテル九重」です。このホテルは、浜松駅を拠点にする一路線だけの「遠州鉄道」(1909年開業)を母体とするグループ企業「遠鉄グループ」が経営し、この温泉地にさらに二つのホテルを経営しています。同グループはホテルの他に、遊園地、タクシー、不動産などの多角経営を展開しています。

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ホテル九重
グループのホテル経営の根幹となる「ホテル九重」は、ひと昔前のタイプの大型温泉ホテルです。そのサービスはとても質の高いと感心しました。フロントやロビーのスタッフの対応もよく、早朝にもかかわらず朝風呂を出ると味噌汁のサービスがあり、和服姿の仲居さんが笑顔で応対していました。朝食バイキングは品数が豊富で味もよく、料理人も仲居さんも対応がとてもよろしい。男女別の大きな大浴場に浴槽が6つほどあり(途中入れ替えがあり合計12の浴槽を楽しめました)、2種類の泉質の異なる温泉が提供され、内観もとても清潔でした。ホテルのロケ―ションもよく、夕方、早朝に湖岸の心地よい散策を楽しみました。大浴場に朝から男性客が多く、また朝のバイキングでかなりの数の泊り客を見ました。内容豊かで質の高い宿泊サービスを提供しているホテルならではと、納得しました。この種の大型温泉ホテルに泊まった経験は少ないのですが、優れたホテルと私なりに評価し、意見をチェックアウトの時、支配人に伝えておきました。料金も手ごろでお薦めの温泉ホテルです。

渥美半島から伊勢へ
4日目もまた晴天でした。私の帰りを待つ人もなく、急いで帰宅する必要もないだろうと、浜名湖北岸を回り、渥美半島から鳥羽に渡り、伊勢に寄って帰宅しました。

西気賀駅
画像浜名湖のほぼ北の端の湖岸近くにちょっとユニークな駅舎がありました。「天龍浜名湖鉄道」の西気賀駅です。1938年に開業した駅が当時のまま使われているのです。その駅舎の一部を洋食レストラン「グリル八雲」が活用しています。
戦前の1935年、東海道本線の予備的鉄道として浜名湖北部に開業した二俣線が1987年に第三セクター方式で民間運営されたのが「天龍浜名湖鉄道」だそうです。東海道本線の掛川駅と新所原駅との路線は、途中の天竜川の西鹿島駅で遠州鉄道と乗り換えができます。

新居宿
画像浜名湖の北岸から西岸に移り、南下して国道1号線に向かいました。その途中に旧東海道の「新居(あらい)宿」の再現町並みを見かけました。街並は、湖西(こさい)市に在り、全国各地で展開されているように、観光資源として新居宿の古い町並みを再現しようと、現在、街並み建設中らしく、普通に民家と再現古民家が混在する不思議な光景でした。




「和味の宿 角上楼」
画像国道1号線を静岡県湖西市から愛知県豊橋市に、さらに左に折れて田原市に入りました。
先の日帰りの旅で、渥美半島を伊良湖岬まで走りましたが、その時は半島の太平洋側の道でした。今回は半島の渥美湾側の道を西に走ったのです。
伊良湖岬の手前で小さな湾に沿った港街の在る「和味(なごみ)の宿 角上楼(かくじょうろう)」を訪ねました。先の旅で奥津温泉奥津荘の主人から勧められた和風料理旅館です。建物は木造2階建と大きく、公式サイトに「創業昭和元年」を謳っています。宿泊施設は本館の「角上楼」の他に別館の「翆上楼」と「雲上楼」もあります。さらにサイトで「日本一の天然とらふぐの宿」と自称し、料理の質は高いようです、渥美半島の郷土料理も提供するとあり見逃せません。温泉宿ではないが「角上楼のお湯は約150mの地下からくみ上げた天竜川の伏流水を使用しております。温泉ではございませんが、大変湯あたりが柔らかいとご好評を頂戴しております。清々とした風を感じながら、それぞれの特徴のある湯船で極上のひと時をご堪能下さい」と自慢しています。
玄関を入る声をかけると中年の元気な女将が出てきました。一人旅プランはあるかと尋ねえると、5000円追加すれば可能だとのことでした。機会があれば泊りたい宿でした。それにしても交通の便の悪い半島の先の遠隔地にこうした質の高い木造旅館と料理が残っているのか不思議です。

二見浦 
画像伊良湖岬から伊勢湾フェリーで鳥羽に渡りました。今回は2度目です。
ネットで知った二見浦の古い温泉旅館―海洋楼―を知り、寄ることにしたのです。鳥羽港からさほど遠くはない場所に木造3階建て旅館がありましたが、休業で内部が観られませんでした。しかしその旅館の在る二見浦の界隈の旅館街には古い木造2階建や3階建が少なからずあることに驚きました。何か時代の流れから取り残された一角とも私には映りました。しかし、小学校の修学旅行で来た二見浦の夫婦岩を観た記憶があり、あるいは旅館に泊まっていたのかもしれません。その当時、修学旅行で訪れることになっていた全国的に有名な観光地だったようです。その理由がよくわかりません。
二見浦というとよく紹介されるのが縄の張られた夫婦岩でしょう。この夫婦岩は、陸上の「二見興玉(ふたみおきたま)神社」の一部で祭神の「猿田彦大神(サルタヒコノカミ)」に関わる「興玉神石(おきたましんせき)」を拝む鳥居井の役割を果しているそうです。現在、神石は江戸時代の地震で海中に沈んでしまったままです。
やはり修学旅行のスポットになった理由がよくわかりません。

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賓日館
二見浦の旅館街の中心部に大きな木造建築がありました。外見からしても通常の旅館ではありません。受付で聞いたら、皇室の宿泊施設として明治時代に建てられた「賓日館(ひんじつかん)」だそうです。現在、建物は「NPO法人二見浦・賓日館の会」が保有・管理しています。
入館料500円を払って広い館内を観て回り、一番驚いたのは120畳の大広間でした。細部に渡るまで宮大工の技巧が活かされているようで、時代を先取りしようとしたのか天井にシャンデリアが取り付けられています。さらに大広間には柱が一本もないのです。どのような構造上の工夫が施されているのかその技術に感心しました。

JR二見浦駅
画像賓日館を出て夫婦岩とは反対方向に旅館街を車で移動しました。「赤福」の店がありましたが、客は数人で閑散としていました。さらに進むと鳥居があり、その先に新しい駅舎がありました。JR参宮線(紀伊本線の多気駅から終点の鳥羽駅まで)の二見浦駅でした。新しいデザインの駅舎ですが、駅員の姿はなく、昔ながらのプラットホームに2,3人が電車を待っていました。時刻表をみると1時間に1本程度です。志摩半島の賢島に行く近鉄鳥羽線は近くを走ってはいないのです。
小学校の修学旅行に連れてこられるほど有名な観光地は、その当時とても賑わっていたのでしょう。散策する人も少ない落ち着いた街並みが佇んでいました。
伊勢志摩では圧倒的に人気で観光客が押し寄せる内宮近くの「おかげ横丁」の人工的な街並とは異なる風情が漂っているように感じました。

二見浦から津までは海岸線を走ろうとするも道は途切れ途切れで途中で放棄しました。松坂の国道沿いで「牛丼」を食べようとするも店はなく、津から伊勢自動車道に上がり、新名神、名神と高速道路を走りました。草津サービスエリアで「牛丼」の晩飯を食べて帰宅しました。
三泊四日の車の旅で予期しないことに出会い、「日本再発見」の目的に沿ったとうぬぼれています。走行総距離1000キロ余で、幸い危険な場面に出会うことはありませんでした。
(おわり)


画像説明:大井川鉄道千頭駅(左上が金谷方面、右下が井川方面、左上は大井川)、金谷駅(正面が東海道本線の駅、左奥が大井川鉄道の駅)、大井川沿いに走る元南海電鉄高野線の緑の電車(大井川鉄道田野口駅付近)、蓬莱橋、大井川河口、御前崎灯台、浜岡原子力館(展望台からの原発敷地を鳥瞰、原寸大の原子炉模型)、浜岡原発防波壁(右上が御前崎)、浜岡砂丘(遠景は浜岡原発)、大東温泉シートピアの浴場(温泉が茶褐色、公式サイトには何故か女性の入浴シーンの画像がある)、清水邸庭園(建物の左側が茶室)、天竜川河口と南遠大砂丘(右上が御前崎)、舘山寺温泉街のメインストリート(奥が舘山寺と愛宕神社)、うなぎ専門店「志ぶき」の外観、ホテル九重の外観(中央が客室、手前左が宴会場、右端が上下2階の大浴場)と大浴場の内観、西気賀駅(駅舎内にレストラン、右はトイレ)、再現途上の旧新居宿の街並、角上楼本館、二見浦旅館街の一角、賓日館の玄関と大広間、JR二見浦駅と二見興玉神社の鳥居。

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