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zoom RSS 三つの温泉―榊原・昼神・南知多―の旅 A

<<   作成日時 : 2017/06/22 17:23   >>

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2日目

昼神温泉へ
画像榊原温泉から「昼神温泉」に向かいました。よく晴れた一日でした。
一般道路を走っても4時間余の距離で、寄り道、遠回りを楽しみました。
津から桑名まで、できるだけ伊勢湾の湾岸を北に走りました。いくつかの小さな漁港のほか、鈴鹿市で見つけた「鼓ケ浦(つつみがうら)海岸」はかなり広い海水浴場で松林も整っていました。四日市ではかつて日本の公害を代表した四日市喘息の原因を輩出していた工場群のなかを走りました。臭いはなく、空は晴れ、高い煙突から目に見える煙はあまり観えません。半世紀前に植えたと思われる街路樹が茂っていました。
画像桑名から名古屋まではいつもの「伊勢湾岸自動車道」ではなく、国道23号線(豊橋市・伊勢市間)を西に走りました。この間に木曽岬(きそさき)町、弥富市、飛島村の3市町村を通過しました。人口4000人余の飛島村は、その翌日走った人口1000人余の豊根村とともに愛知県の残る二つの村だそうです。
名古屋市内の道路は車で混み、複雑な道を走っている間に、間違って高速道路に上がってしまい、次のインター降りるつもりでそのまま走り伊勢湾岸自動車道の「刈谷ハイウエイオアシス」で少し休みました。

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「エビフリャー」
昼食には少し早いが、広いレストランの一つの店の前に50人以上の行列ができていました。店名は「いきなりステーキ名鉄刈谷オアシス店」、2013年に銀座で一号店をオープンさせ、現在全国に100店舗以上あるそうです。美味い牛肉を安く食べされるという店だそうです。近くの客の居ない店の人に聞くと、今年4月に開業したそうです。ステーキがあまり好きではない私なので並ぶこともありませんでした。

画像代わりというわけではないが、話題性のある「エビフライ」に対面に在るレストラン「ごはんやODAIDOKORO於大処」で「大海老フライ定食」を食べました。
タモリがNHKの「ブラタモリ」で名古屋を探索すると知られると、昔タモリが名古屋人を揶揄して「エビフライ」を「エビフリャー」と言うと全国に紹介したことが話題となったのです。名古屋の人が日常的に「エビフリャー」と発音をするわけではなかったそうです。また当時、名古屋では「エビフライ」が日常的な食べ物では無く、「ハレの食物」だったそうです。もっともエビフライが話題となるとこれに便乗して名古屋名物に仕立てたとそうです。
食べた定食は大きなエビフライが3本ものっており2本食べるのがやっとでした。

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足助
画像一般道に降りて、カーナビを設定し直しました。豊田市の中心地に在る奇抜な白い「豊田大橋」を渡り、奇抜な外観の「豊田スタディアム」を右に観て、「大正村」に向けて国道153号線(名古屋市・塩尻市間)を東北に走っていると、道沿いに読み方もわからない初めて聞く地名「足助(あすけ)」の古い街並みの案内板があり、寄ってみました。
想定したより長い古い街並みでよく整備され、主要な通りは電柱がありません。通りの牛乳屋の前に車を停めて、主人に聞くと、江戸時代の「足助宿」で中山道でもない東海道でもないその間に在った飯田街道(または「三州街道」)の主要な宿場だったそうです。その主人は牛乳を扱う前、7代続いた薬屋をこの通りで営んでいたそうです。その隣が木造の元銀行の「中馬館」で資料が展示されていました。足助の古い町並み現在も整備中で、生活の場と伝統的な街並が共存する志向が感じられました。
ここも豊田市内で、市の中心から車で1時間ほどのところにあり、アクセスは悪くはないでしょう。東海道と中山道の間で忘れられそうな「飯田街道」の「足助宿」の検討を期待したい。

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大正村
昼神温泉へまだまっすぐには行かないで「日本大正村」へ寄りました。大正村を観るためではなく、日本三大山城の一つが大正村の近くに在ると間違って思い込んでいたのです。
「大正村」(愛知県恵那市)は、明治村や昭和村とは異質な空間でした。1965年開業の「博物館明治村」(愛知県犬山市)より新しく、2003年開業の「日本昭和村」より古く、1988年に開業した旧明智町の街並みを活かしたオープンテーマパークです。人為的な時代区分で明治と昭和の間に在る大正時代は私にとって存在感が薄いのです。教科書的には大正期に関わる歴史事項として「大正デモクラシー」しか思い浮かびません。よく言われる「大正ロマン」が何なのかよくわかりません。
画像こうした歴史的存在感が薄いだろう大正時代をテーマにしたテーマパークは企画も運営も難しいと思います。客寄せとした思えない初代村長に高峰三枝子、2代目に司葉子、そして現在は竹下景子を充てています。
それにしても大正村のメイン会場の対面に大きなスーパーがもろに見えるのです。「これは一体何?」と運営主体の「公益財団法人日本大正村」は何を考えているか疑問に思いました。
この大正村へのアクセスは良いとは言えません。JR中央本線の恵那駅で乗り換える「明智線」が主要なアクセスと思われます。もともと恵那と静岡県掛川とを結ぶ鉄道計画の一部として1933年に開業した「明智線」ですが、1985年から第三セクター方式に運営に移行しました。この鉄道の利用を高めるために「大正村」が造られたのではないかとも推測します。

旧三宅家
この大正村の一角に大正時代とは関係ない「旧三宅家」の建物が在りました。もしや私と関係あるかもしれないと確かめに坂道を車で上りました。さほど大きくはないが萱葺の一階建ての民家でした。中では囲炉裏に高齢の男性が座って寒くもないのに薪を焚いていました。煙が黙々と上がり、土間の屋根裏を観ると黒い漆塗りと見間違いほど真っ黒い煙で燻されていました。煙が萱や木材や綱の劣化を防ぐ効果があると聞きます。
管理担当らしい男性に「明智に姓が三宅の人は居ますか?」と聞くと数人居ると教えてくれました。三宅氏の系統はおもに西日本で由来が異なるつかのグループがあります。明智の三宅家は、地理的に近い渥美半島田原城の城主を務めた三宅氏の系統かもしれません。私の三宅は、ヤナト政権時代の直轄領であった屯倉に由来するだろうと推定していますが、証拠は知りません。

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岩村城跡
明智駅の待合室で同世代と思われる地元の男性に山城のことを聞くと、明智城は日本三大山城ではない、「岩村城」と教えてくれました。その城は大正村から北東方向に在るというのです。国道363号線(名古屋市・中津川市間)を車で向かいました。
根拠曖昧な「日本三大山城」とは「岩村城」「高取城」および「備中高松城」です。このうち奈良県の高取城は近くまで行ったが城跡そのものは観てはいません。岡山県の備中松山城は、倉敷東小学校から遠足で上まで登り天守閣は観ています。ということで岩村城跡に車で登りました。
アクセスの道はよくはありませんが、城跡に車を停める広場があり、比較的よく整備されていました。城跡は杉林のなかで高い石垣群が残る立派な遺構でした。高い山の頂き近くにこの山城を造り、暮らす人たちがいたことに圧倒されるものを感じました。杉林に埋もれかかっている苔むした石垣の構造物から眼下の岩村の集落を観ることができました。
この城も明治政府の廃城令で跡形もなく木造建造物は破壊されたのです。
私が訪れた頃、10人近い人たちを見かけました。現在、NHKの大河ドラマ―ほとんど観ない―の女主人公が暮らしたという城だそうです。
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昼神温泉
恵那谷の岩村城跡から木曽山脈(または中央アルプス)の山岳部の国道418号線(大野市・飯田市間)を車で走り、長野県「平谷(ひらや)村」(人口400人余、長野県で一番人口が少ない)に入り、まもなく走ると周囲は急に開け、日帰り温泉「ひまわりの湯」が在りましたが通過し、再び整備がよい国道153号線を北に山を下り、阿智村の「昼神温泉」(または「昼神温泉郷」)に入りました。
規模の大きな多くのホテルや旅館が渓谷の川の両側に立ち、想定以上に立派な温泉街でした。温泉街の開業はかなり新しく、1973年鉄道用トンネルのボーリングでたまたま温泉源を発見され(地元の人は中央自動車道の建設中に発見されたと言う)、阿智村がこの温泉を活かすため1975年公社を立ち上げ、1976年に村営の保養センターを建てました。これが昼神温泉の始まりだそうです。さらに村は、ネオンサイン、バー、風俗店を制限しながら、温泉宿泊施設の企業を呼び込んだのです。1982年、中央自動車道が全面開通し、中京圏からアクセスが抜群によくなり(名古屋から車で約1時間半)、温泉客は増えたそうです。しかし、他の新興温泉街と同じく、次第に客足が遠のき、ホテル間の過当競争、廃業するホテルも出始めました。こうしたなかで温泉地再生を目指して、阿智村ならではの付加価値として「日本一の星空」を売りにしました。夜間に標高1700メートルの富士見台高原に「富士見台高原ロープウエイ」で上がり高原の星空を楽しむという企画が効を奏して宿泊客も増加に転じたそうです。自治体主導のこうした取り組みは「温泉再生」を目指す全国の温泉地から注目されているようです。

「伊那華」 
画像予約しておいた旅館「湯多利の里 伊那華」にチェックインしました。
広くはない玄関に入りフロントまで歩いている間に気になったことがありました。スタッフが、全員、紫色のTシャツを着ているのです。ちょっと戸惑いました。さらにフロントから続く1階の広くはない廊下の両側にいろいろな物が置かれてますます廊下が狭く感じられ、防災上よくないと思いました。このことをスタッフに伝えると「定期の検査で合格済みです」と冷たい返事でした。こうして「全館個室の有料老人ホーム」を連想してしまいました。大浴場も露天風呂も夕食も朝食(共にバイキング方式)も普通のレベルでした。
しかし悪い印象を持ってしまったこの旅館ですが、旅館から観る青い空、緑映える山々、そして渓流、さらに対岸のホテル・旅館の建物像です。こうした光景はこの旅館だけでなく昼神温泉の宝だと思いました。誇るべき温泉文化を生きている空間でした。
(Bへつづく)


画像説明:地図(@榊原温泉A鼓ケ浦海水浴場B飛島村C刈谷ハイウエイオアシスD足助E日本大正村F岩村城跡G平谷村H昼神温泉)、鼓ケ浦海岸(左遠景は志摩半島)、四日市塩浜地区の街路樹、いきなりステーキ名鉄刈谷オアシス店(開店前らしい)、「大海老フライ定食」(ごはんやODAIDOKORO於大処刈谷オアシス店)、豊田大橋と豊田スタディアム、足助の街並み(左は足助牛乳と左隣は旧銀行中馬館)、大正村メイン広場の浪漫亭、旧三宅家、スーパーバロー明智店(大正村の対面がこれ)、岩村城跡概略図と本丸の石垣(6段壁ともいう)、昼神温泉郷遠景(左下が伊那華)、バイキング場の様子(伊那華)。

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