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<<   作成日時 : 2017/07/31 21:13   >>

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4日目
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コース
小涌谷温泉の宿から国道1号線で小田原に下り、海岸沿いを熱海に向かいました。熱海から県道「熱海街道」で峠のトンネルを抜けて函南町に入り、坂を下って三島市内に入りました。国道1号線を西に走り、清水町の柿田川と富士市のたばこ店に寄り、富士川を渡りました。静岡市の蒲原宿と美保の松原、焼津市のかんぽの宿、藤枝市の志太温泉潮生館、掛川市の日坂宿に寄り、袋井市の北端に在るユニークな宿「葛城北の丸」に着きました。この日も暑く、クーラーの効かない厳しいドライブとなりました。

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柿田川公園
箱根町、小田原市(ここまでは神奈川県)、熱海市、函南町、三島市と通過し、富士市に向かう途中の幅広い国道1号線で初めて聞く「清水町」に入りました。案内標識に「柿田川公園」とあり、富士山の湧き水としてよく知られた柿田川を観てみようと駐車場に入りました。公園は駐車料も入園料も只で、子供連れや若い来園者を多く見かけました。
テレビなどでよく紹介される川の砂底からリズミカルに湧き出る水の様子は園内2か所で大きな土管を埋めた展望台で観察できるのです。魚が10匹ほど泳いでいました。ただそれだけでした。
流域が短く狭い柿田川は、四万十川と長良川と併せて「日本3大清流」だそうです。長良川は車で移動して何度か観てきましたが、どの流域を指して清流としているのか、よくわかりません。
この程度で柿田川の私の理解は終わりかと思いながらネット情報を調べていると、公益社団法人「日本ナショナル・トラスト協会」のサイト「ソーシャルアクションリング」で「公益財団法人柿田川みどりのトラスト」を取り挙げ、紹介記事に以下の文章があります。

どうしてこの活動をはじめたんですか?
当時船員をしていた漆畑会長が自宅のある清水町に戻ってくると、幼少の頃慣れ親しんだ柿田川最上流部に重機が入り樹木を押し倒す風景の遭遇。このままでは柿田川が開発されてしまい慣れ親しんだ風景が無くなってしまうとの危機感から地元有志10名の方々と柿田川自然保護の会を1975年に設立し、柿田川とその周辺環境を守る活動を始めました。しかし、当時世間では高度成長期で開発が正義の時代。こんな川を守ってどうするんだと言う世間の強い風当たりを受け、役場への二十数回にわたる陳情も想うような成果が出ない状況に陥り、職場等で嫌がらせを受けたりと今では考えられない仕打ちに離脱する人も出たようです。しかし、いつか理解してもらえる日が来ると信じて活動を続け、偶然、朝日新聞社・森林文化協会による、「二十一世紀に残したい日本の自然百選」の募集を見つけ応募し、1983年に入選しました。ついで、1985年に環境庁(現環境省)が「名水百選」に「柿田川湧水群」を選定されると、柿田川が一躍有名になったことにより、不動産業者が、河畔林を切り倒す宅地開発を始めたので、これ以上の自然破壊を阻止すべく、1988年ナショナル・トラスト運動を開始。マスコミより運動が報道されると多くの募金が全国から寄せられるようになりました。現在に至るまで様々な苦難等を乗り越え、現在では行政も柿田川の重要性を認識していただき、外来種除去作業、水源涵養地への植樹活動等において協働で活動を行っています。


こうした人たちの活動の成果のなかで私たちが湧き水を観させてもらっていることを知りました。ところで、柿田川は富士山の湧き水とするのが定説ですが、どのような調査研究で証明してきたのでしょうか、その情報が乏しくちょっと疑問が湧きました。

吉原宿
画像「吉原」の名前に引かれて国道1号線をさらに西に走りました。東海道本線吉原駅に隣接する「岳南鉄道吉原駅」があり、二つ目の「吉原本町駅」に向かいました。
東海道の14番目にあたる「吉原宿」は富士川の西に在って重要な宿場だったそうですが、度重なる津波の災害で北に移転し「本(ほん)吉原」に移転したそうです。
現在は、殺風景な工場と商店街と住宅が混在している地区ですが、毎年6月に東海一と言われる「吉原祇園祭」が催されるそうです。祇園祭といって京都の祇園祭と異なり神輿が威勢よく担がれるそうです。これは全国各地の祇園祭の似てさまざまな流儀が持ち込まれ、土着化した祇園祭となったとみてよいでしょう。ということからすれば京都の祇園祭もそのひとつかもしれません。

市河たばこ店
画像吉原本町駅の周辺を徘徊していると「億万長者24人目」と大きな広告塔を立てたちょっとけばけばしい宝くじ売り場「市河たばこ店」を見つけました。外観はほとんど「宝くじ売り場」ですが、本業の「たばこ」も売っていました。
「ジャンボ宝くじ」に限定して宝くじを始めて長くなりますが、いつも連番3枚(900円)で買ってきました。6等300円以外に当たったことはありません。今回、「サマージャンボ」は京都で既に買っていたのですが、何か当たるかもしれないと期待して追加に3枚を買いました(抽選は8月20日)。私の前後に数人の男性がたばこ店に宝くじを買いに寄っていました。
この店は「宝くじ売り場」としては繁盛しているようですが、「売り子」が億単位を当てたという話は聞きません。あるかもしれません。当然ながら売り子が宝くじにのめり込むことはなく自制しているはずです。既にブログで書きましたが、宝くじがよく当てるのは富裕層だそうです。潤沢な資金でくじを買えば確率的に当たりやすいのは当然でしょう。そうでない階層はなかなか当たりませんが、「くじは買わないと当たらない」という大原則に則り死ぬまで「ジャンボ宝くじ」を買うつもりです。

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蒲原宿 
国道1号線の富士川河口に架かる橋を渡り静岡市に入りました。観光案内の標識に「蒲原宿」とあり、「吉原宿」の西方向の宿場ということで寄ってみました。普通の民家が並ぶ普通に町並みに古い民家が散在していました。そのなかで入り口に小さな醤油瓶を並べている民家「志田邸」があり覗いていると、中から中年の男性、母親が出てきました。醤油のこと聞くと、先代がここで志田製の「やまくろ醤油」を造っていたが、廃れた後、製法と名称を長野県中津川の業者に渡し、再び製造されるようになったといのです。一瓶300円の醤油を買いました。志田邸の男性とは東海道の宿場の話をしていると「京都の人には失礼かもしれないが」と前置きして東海道は53次ではなく57次で、終点は京都の三条大橋ではなく大阪の高麗橋だというのです。確かに彼の言う通りなのですが、「三条大橋」と比べ「高麗橋」は目立たない橋で認知度が低いと私見を伝えました。
東海道57次では、大津宿から山科を経由して伏見、淀、枚方、守口と4つの宿場が追加されます。このうち守口市を観光資源として力を入れたのか宿場と古い町並みの復元を試みています。

美保の松原
画像国道1号線に戻り駿河湾の湾岸を走り、静岡市清水区で国道150号線(静岡市・清水市間)に移り、名勝といわれる「美保の松原」を訪れました。富士山をバックに白砂青松の海岸としてよく紹介されますが「がっかり観光地」でした。
「美保の松原」はほとんど住宅地に囲まれ、当日は何かの工事現場は鉄板で囲まれ、落ち着かない雰囲気でした。広い海岸に出ましたが、ありふれた風景で白砂も少なく、青松の手入れもいいかげんでした。ここでも富士山はうっすらと輪郭しか見えず、頂は雲の中でした。富士山に登った人たりは雲か雨か霧のなかか、あるいは雲海の上かもしれません。
今年後半に泊まる予定の温泉旅館「羽衣ホテル」は休業中のようです。外観は公式サイトとは異なりロケーションも悪く、わざわざ来るほどのことはないと判断しました。

かんぽの宿焼津
画像国道150号線で焼津市内に入ると、左手前方の丘の上にホテルらしい高い建物を見つました。休憩を兼ねて訪れたところ「かんぽの宿焼津」でした。「かんぽの宿」は赤穂で泊まったことがあります。なんとなく古く、どことなく汚れているホテルでまだ昼の日中のためかスタッフはこころもち閑そうでした。
幸いなことに「日帰り温泉」のサービスがあり利用しました。最上階9階の広い浴場から太平洋を遠望できました。眼下に焼津港と市街地が見えましたが、あまりよい眺望ではありませんでした。焼津港といえば、大学時代休学して下田のホテルで働きましたが、その前に遠洋漁業の船に乗れないかと尋ねた所です。港の漁師が私の手を見て、また医学生だと聞いて断りました。
この「かんぽの宿」の建物が立つ焼津市の丘陵地にはこの他2軒の大きな「ホテルホテルアンビア松風閣」と「焼津グラントホテル」が在りますが、後者のホテルは今年の宿泊先と予定していましたが、再び来ることはないと判断しました。

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志太温泉潮生館 
藤枝市に在る登録有形文化財の温泉宿として知った「志太温泉潮生館」も見学しました。藤枝市郊外の丘陵地帯に在る一軒家的な温泉旅館です。庭の手入れもあまりされていないようで、玄関に人の気配がなく、外から見ると建物の傷みが気になります。ちょっと元気のなさそうな老舗温泉旅館と思いました。

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日坂宿
藤枝市から島田市を通過し、国道1号線で大井川を渡り、掛川市に入りました。「日坂(にっさか)宿」の案内標識があり、寄ってみました。普通の住宅地の道の両脇に2,3軒の古い民家が散見するのみでした。
江戸時代に東海道に限らず旧街道で旅人を支えまた監視した宿場は、ほんの150年前まで生活の重要な基盤でした。それが日本各地にさまざまな形で残っていることはその時代の人と生活を考えるよい材料を提供していると思います。

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掛川の駅と城
日坂宿を訪れたついでに掛川市のなんとなくJR掛川駅に向かいました。車で移動してある場所を訪ねると、その位置確認の起点として駅が有用です。市街地に入ると丘の上に外観が優れた城「掛川城」の天守閣がそびえていました。この城は江戸後期の1854年に地震で倒壊したそうです。現在在る天守閣は150年後の1994年に木造で復元されたものです。全国各地で流行った鉄筋コンクリートでの再建ではなく、木材での再建は初めてだそうです。同じようにJR掛川駅北口の駅舎は山小屋風の木造です。ネットでみると南口はありふれたガラス張り駅舎です。掛川市は木造にこだわる市政のようです。

JR掛川駅に隣接して私鉄「天竜浜名湖鉄道」の掛川駅があり、元国鉄二俣線のこの鉄道は天竜川の二俣まで北に走り、浜名湖の北側から同じ東海道本線のJR新所原駅まで走っています。この鉄道の列車が郊外を走っているのを観ました。

葛城北の丸
画像宿泊施設「葛城北の丸」を知ったのは今回の旅に出る1週間前のことでした。箱根の小涌谷から自動車道でその日のうちに帰宅することはできるのですが、もう一泊するに相応しところがあればとネットで探して、「葛城北の丸」を初めて知りました。ネットの画像では城のような外観で民芸風の内観の宿泊施設で、温泉があると勘違いして朝食付きの一人旅プランがあり希望宿泊日に空室があったので早速予約しました。
泊まって驚きました。全体が城のような造りで、いくつかの建物が廊下で繋がっています。内観は太く黒い柱や梁の民芸調の造りで、細部にも民芸調の装飾が施され、落ち着いた雰囲気を作っています。広い芝生と樹々の庭と池と、さらに大きなレクレーション用のプールも備わっています。
温泉風呂と間違っていた3つ大浴場、地下水を温めたものですが、浴槽に使う岩石からミネラルなどが溶解して温泉に近い成分が含まれていると思われます。
建物も浴場も細部もメンテナンスがよく、綺麗に保たれているのです。
食事は、バイキング様式の朝食のみ食べましたが、過度な豪華さはなく、ひかえ目で確かな料理でした。さらにスタッフの接客が優れていました。
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泊まった夜、二人のバーテンダーと一人の和服姿の若い女性の居る広いバーで「モヒート」を飲んでいました。たまたま支配人が近くを歩いていたのでバーテンダーに頼んでいろいろ話をすることができました。第一印象は「川奈ホテル」に匹敵すると彼に伝えました。
「葛城北の丸」は、元はヤマハの子会社「ヤマハリゾート」が1978年に創業したもので、その2年前にオープンしたゴルフ場「葛城ゴルフ倶楽部」のクラブハウスと位置付けられていました。「ヤマハリゾート」は、リゾート開拓と音楽活動の拡大を図り、「鳥羽国際ホテル」「合歓の里」「キロロリゾート」などを創業しました。このうち現在残っているのが「ゴルフ場」とこ宿泊施設です。「葛城北の丸」の設計や施工については「ヤマハの中興の祖」とも言われる川上源一の意見が強く活かされたそうです。またアノ製造で培われた木のノウハウも役立ったそうです。豪華ではないが贅沢な造りは、楽器の世界的大企業「ヤマハ」が背後にあるからこそできと言えるかもしれません。
不思議な名前の「葛城北の丸」に泊まった思ったことは、この宿泊施設は、単なる旅館でもなく、ホテルでもなく、リゾート施設でもありません。温泉旅館ではなく類似の施設です。立派な木造建築だが登録有形文化財の宿泊施設でもありません。ゴルフ場の単なるクラブハウスでもないのです。観光宿泊施設のどの範疇にも収まらないが、それらの特徴を兼ね備えたユニークは宿泊施設です。

これほど立派な施設は、ゴルフ会員はもとより袋井市民に限ることなく、国民が誇るべき文化的財産としてもっと知らせてよいのでは支配人に提案しました。
しかし余り知られないで40年近くこの施設が経営でき背景は、翌朝の朝食の光景で理解できました。隣接する「葛城ゴルフ倶楽部」の会員か常連客と思われる少なからざる男性たちが食堂で思い思いに食事をしていました。基本的には当初の意図どおり、この施設はもっぱらゴルフ会員が利用しているのです。この人たちがこの「葛城北の丸」を経営的に支えてきたと思われます。
しかしゴルフ会員に限定されて利用するには「もったいない」施設です。誰もが自由に利用でき、日本人が誇るべき施設として広く知られるべきだと思います。
私が全国で泊まったなかで例外的にも「葛城北の丸」は「死ぬまでに一度は泊まっておきたい施設」です。料金もリーズナブルでコスパが極めてよいことを付け加えておきます。

5日目
画像翌日、「葛城北の丸」を出て、名古屋に向けて一般道路を走ました。赤坂宿も藤川宿も岡崎城も通過しました。目的地は、徳川園内に在る「徳川美術館」の裏にある「宝善亭」でした。本来はニュースで取り上げられた「信長が家康の振る舞ったという信長御膳」を食するはずでしたが、予約が必要だそうで、代わりに弁当「旬小箱」を食べました。京都にもある観光客向けの弁当でした。
その後は、自動車道でひたすら京都を目指しました。総移動距離は約2000キロ。クーラーの効かない車でちょっと危ないった旅ですが無事帰宅できました。
(おわり)


画像説明:地図(@三河屋旅館A柿田川公園B市河たばこ店C蒲原宿D美保の松原Eかんぽの宿焼津F潮生館G日坂宿H葛城北の丸)、柿田川と湧水展望台(川の土管の砂地から湧く湧水を観られ)、岳南鉄道吉原本町駅、市河タバコ店、志田邸の内観とやまろく醤油、美保の松原の一面(手入れ不十分な松林)、かんぽの宿焼津(海側から望む)、志太温泉潮生館、日坂宿(左後方に国道1号線)、掛川駅(左)と掛川城、葛城北の丸(全景、下が北方向、敷地のおおよその広さは300×200メートル)、葛城北の丸(左上:門と本館、右上:庭から見た本館、左下:食堂、右下:大浴場の一つ)、宝善亭の旬小箱。

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