認知症あれこれ、そして

アクセスカウンタ

zoom RSS 琴平・小藪・湯布院・岩国・皆生の温泉の旅(下)

<<   作成日時 : 2017/07/09 00:34   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

5日目
画像

ルート
錦帯橋から宮島に向かいました。木になる旅館やホテルの観察した後、松江の皆美館で「鯛めし」を食べ、皆生温泉の旅館に泊まりました。

錦帯橋から近い「岩国インター」から山陽自動車道に上がり、「広島岩国道路」に移り、大野インターで降り、国道2号線を東に走り、宮島口に着きました。
「広島・岩国道路」は不思議な高速道路で、神戸から下関に至る「山陽自動車道」の一部ではなく、国道2号線のバイパスとして造られ、これとは別に同じ区間で山陽道の高速道路の計画があったが消滅して、「広島岩国道路」が山陽道の一部と機能して「西日本高速道路株式会社」(英語名:West Nippon Expressway Company Limited)(通称:NEXCO西日本)が管理しています。

画像

宮島 
小雨降る「宮島口フェリー乗り場」の前に有料駐車場に車を停めました。フェリーが在っても宮島は許可を受けた車しか入れないそうです。
画像宮島―正式には「厳島」―との宮島口との間には「JR西日本宮島フェリー」と「宮島丸大汽船」が就航しています。宮島は久しぶりでどちらのフェリーに乗ったよいか迷いました。JRの方が間違いないかと根拠曖昧なままJRを選びました。JRは鳥居が正面に見える沖を通過すると観光客向けに差別化を図っていました。それにしても航行時間は10分ほど、運賃(往復360円)も便数(1時間に4便)もほとんど同じの二つの船会社はこれまでどのように共存共栄を図ってきたのか不思議です。
フェリーの船員の方でちょっと汚れた四本線の肩章を付けた中年の男性に「船長さんですか」と聞いたら「機関長だ」と答えてくれたので、「JRの航路はここだけですか」と聞いたら「そうだ」と言いました。帰宅して調べると運行形態は異なるがJR九州が福岡と釜山との国際航路で高速船を就航させています。

JRフェリーには観光客が少なくなく、外国人の姿も多く見かけました。宮島は、今も昔も人気ある観光地として不動のようでした。

画像

宮島の裏通り
宮島の厳島神社ではなく老舗旅館「有もと」を見付けようと、土産物屋が並ぶ表通りではなく、路地を入って一つ奥の裏通りを歩きました。そこには古い宮島の生活の場が在りました。宮島を訪れるのは3度目ですが、こうした裏通りはまったく知りませんでした。
宮島は、2005年に廿日市市に吸収合併される前は全島人口2000人ほどの宮島町として島民が暮らしていいたそうです。

画像

二軒の老舗旅館
裏通りの先に目立たない玄関の「有もと」がありました。創業400年と自称する旅館のロビーでアイスコーヒーを飲みました。コーヒは美味しく「コメダ」を真似たのか「紅葉饅頭」が付いていました。この老舗旅館の建物は波止場近くにあったそうで、現在の建物は40年ほど前に新築したもので温泉はなく落ち着いたホテルでした。宮島の沖からみると厳島神社の社殿の後方に見えるのがこのホテルです。
「有もと」の近くに「岩惣」というこれも大きな旅館もありました。こちらは創業160年で、125年ほど前に建てた古い旅館の一部がフロントとして活用されています。
画像

五重塔
画像宮島で目立つ建物は、あざやかな朱色で飾った厳島神社の社殿とその近くの丘に建つ同じく朱色で飾った五重塔でしょう。裏通りの路地を歩き石段を上ると丘の上に「千畳閣」という地味な外観ながら大きな建物と五重塔が在りました。
この厳島神社も明治政府の政策の影響を受けました。神仏習合が一般的だった江戸時代まで神社と寺院は同じ境内の宗教施設でしたが、神仏分離政策によって強制的に分離させられたのです。経典を納める経堂だった「千畳閣」と五重塔は末社の「豊国神社」の社殿とされました。当然ながら伽藍の仏像は取り除かれ島内の大願寺に移されました。しかし仏像は取り除かれても内部の壁画はそのままだそうです。非公開の五重塔内部の様子について「内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています」と廿日市市観光課の公式サイトに開設が載っています。ネット上でその画像は見つかりません。
なお神社の五重塔は必ずしも珍しくはなく、私が訪れたことがある日光の東照宮や羽黒山の出羽神社の例があります。
それにしても時の権力に迎合して生き延びた神社はその過去は知られたくないのか豊国神社の五重塔の内壁は隠されていると言ったよいのでしょう。

三次へ
宮島口に戻り、広島岩国道路に上がり、廿日市ジャンクションで山陽自動車道に移り、広島ジャンクションで広島自動車に、広島北ジャンクションで中国自動車道に、三次インターで一般道に降りました。その日の昼食に松江の老舗旅館「皆美館」で名物「鯛めし」を食べる予定で予約は受け付けないようで2時のラストオーダーに間に合うだろうと、味気ない高速道路のトライブを止めて、三次市から松江市まで一般道路を走ることにしました。
全国各地の高速道路を走っていると、その多くは山間部に造られていることが多いことに気づきます。道路の周囲の景色だけではどこを走っているのか見当がつきません。スピードを上げて走ることが楽しみとなるのです。もっともスピード違反で免停を2回経験しているので、30キロ以上のスピードは出しません。しかし最近制限速度100キロの高速道路が普及しつつあり、時速125キロはちょっと危ないか?
いずれにせよ時間と体力が許す限り、一般道を走った方がいろいろな発見と出会いがあります。

島根県へ
国道54号線(広島市・松江市間)の緩やかな坂道を上り、トンネルを抜けると島根県の「飯南(いいなん)町」に入りました。さらにゆっくりと下って「雲南市」に入り、市街地で道路が混んできたので、松江自動車道に上がりました。
2004年の6町村の大合併で生まれた新しい名前の「雲南市」ですが、中国雲南省とは関係なく、「出雲の南」という意味でしょう。
画像

鯛めし
宍道湖に出て湖岸を東に走り、様変わりしつつある松江の中心街にある老舗旅館「皆美館」は1888年この地に創業しました。現在も部屋数が14とこじんまりした旅館です。広くはない駐車場に車を停めると高齢の番頭らしき人が近づいてきたので「鯛めしを食べに来た」と伝えました。
画像品のある玄関を入ると着物姿の笑顔の仲居さんが案内しくれ庭越しに大橋川がみえる瀟洒な食堂に案内してくれました。「鯛めしセット」を注文しましたが、テーブルのメニューに旬の隠岐産「バイ貝」の刺身を見つけ、これを食べない理由はないだろうと追加しました。これは京都でも口にできないような逸品でした。「鯛めし」も上品な味でした。
皆美館の初代料理長が考案したという「鯛めし」は、宇和島の鯛めしのように具は鯛の刺身ではなく「お茶漬け風」の鯛めしで、以下のネット解説があります。

具材は鯛や卵、大根おろし、ネギなど7種類。鯛は一旦蒸し上げてからほぐしてそぼろ状に。卵は黄身と白身を分けて裏ごししてあります。具材を細かくすることで、ご飯と一緒にサラサラと味わえます。
そして美味しさの秘訣は、ご飯にかける特製ダシ。カツオや昆布に、鯛の骨などを加えて作り上げるそうですが、詳しいレシピは門外不出。上品な和風ダシが、ご飯と具材の旨みと一体となって、口の中に広がります


画像

アジア博物館・井上靖記念館
松江から中海に在る「大根島(だいこんじま)」(大根とは関係ない島)を通過し、江島に移り、急な勾配で有名な「江島大橋」を渡り、弓が浜半島に入りました。この半島は2度目ですが、境水道から美保湾側に回り沿岸を南下しました。
どしゃぶりの雨の中、交差点の近くに「アジア博物館」の看板の大きな建物を見つけました。チェックインには少し時間があるので寄ってみました。
画像

大手門風の門の受付で500円払って入りました。あまり手入れされてない庭を取り囲むように建物が配置され、それぞれペルシャの衣装、モンゴルの文化と歴史、藍染め、物産館そして井上靖などのテーマ別で分かれていました。「アジア博物館」とは看板に偽りあり、日本意外ではほとんどペルシャとモンゴルのコレクションが展示されていました。内部を大雑把に観て回りましたが、コレクションや展示の意図がよく理解できませんでした。今時珍しく、この博物館は独自のサイトを持っていません。情報がとても乏しいので、博物館について理解を深めることができません。ただしネット情報から、塗料関係の企業「ダイニッカ」がメセナ活動としてこの博物館を援助していることはわかりました。
画像

井上靖記念館ですが、この小説家については映画化された彼の小説「氷壁」を観ただけで、彼についてはあまり知りません。出生地は旭川で、静岡、金沢、京都で暮らしており、彼の記念館は他に全国5カ所在ります。生活した記録はない境港または鳥取との関係もわかりません。受付の中年の男性の話によると、柔道を好んだ井上と博物館の開設者が柔道を通して知り合いであったそうです。
ほとんど収穫のなかった大きな博物館で、見学者は私一人でした。

画像

皆生温泉東光園
皆生温泉は訪れるのも初めてで、一人旅プランがあり宿代も高くはないと選んだのが東光園でした。奇抜な外観のホテル風の温泉旅館の部屋の床の間の傷みは酷かった。これを客室として提供するホテルの人間感覚、経営感覚を疑いました。
大浴場はまあまあでたが、露天風呂は汚れており、もう露天風呂の浴槽は使われていません。温泉宿でこうした扱いは珍しい。
食事ですが、夕食、朝食ともにバイキングですが、夕食は遅く入ったためか食べ物が乏しく、食べたい物がなく、よかったのは揚げたての天ぷらぐらいでした。近くに安来があるためかメニューに「ドジョウ鍋」がありました。椀のなかで泳ぐ生きたドジョウを酒か熱湯の鍋に入れてから食べるというやり方にはついていけませんでした。
朝食は早めに入りましたが既には50人以上団体客で賑わっていました。簡単な簡単にすませて宿を出ました。

ホテルのあちこちに残る斬新な内装からして、一時は流行ったホテルと思われます。現在はもっぱら団体客を相手の温泉宿泊施設と位置付けて営業しているようでした。
食堂でみかけた中高年の男性たちや、フロントやロビーの若い女性たちは対照的に熱心に接客していました。

6日目
画像

ルート
最終日のルートはほとんど未定でしたが、大山寺と西粟倉村をだけは訪れることにしました。

画像

大山の樹海
大山寺から遠くはない場所に「大神山神社」の奥宮があることは確かめましたが、そこに至る坂道を歩くのはきついだろうと諦め、麓の「本社」の方を見学しました。祭神は出雲大社と同じく伝説上の人物「大国主」です。中規模で特徴の乏しい境内と社殿は特に学ぶことはありませんでした。
そして大山寺に向かいました。その途中は大山の麓に広がる深い広い森林の連続はほとんど樹海でした。途中、展望台から曇ってはいたがはるか眼下に見えた弓ケ浜半島の光景もまた格別でした。道路はよく整備され、快適なドライブでした。「森林浴」とはこのことかと車のなかで思いました。

画像

大山寺 
大山寺に近づくと「豪円山スキー場」という滑ったことはないが懐かしい名前の緑のゲレンデを見ました。大山寺の参道を車で上がり、山門近くに車を停めて本堂に向かいました。思ったよりコンパクトな伽藍でした。もっとも阿弥陀仏が並ぶ阿弥陀堂は観ずじまいでした。
画像

大山林間学校
岡山大学附属中学校に通っていた時、夏の林間学校が大山で実施されました。伯備線の伯耆溝口から桝水高原を経由して(移動はバスだったらしい)、大山寺の宿坊に泊まったと思われますが、詳しい建物やその場所はわかりません。大山の頂上まで登った後、下山の際私を含む数人が集団とはぐれました。教師たちは同学年の生徒全員の前で私たちを叱責したのです。今にして思えば、人民裁判的ですが、当時は許されたのでしょう。という苦い思い出が大山にはあるのです。
画像

新庄村
画像大山寺から山麓を北に走り、林間学校のルートを確かめるべく桝水高原と伯耆溝口を経て、国道181号線(津山市・米子市間)を南下しました。途中、鳥取県日野町で国道が津山方面の新見方面に分かれており、遠回りの新見方面ではなく津山方面を選びました。県境の峠のトンネルを抜けると岡山県新庄村に入りました。ゆっくりと道を下ると、信州のように高くはない山に囲まれた穏やかな田園風景が広がっていました。道路脇に「古い町並み」の案内板を見かけ、右に折れました。
ところどころに古い民家が並ぶ長い町並みが続いていました。桜の幹は太く道が狭くなっていました。桜並木と古い町並みの組み合わせは記憶にありません。
帰宅後調べると、人口950人ほどの新庄村の町並みは出雲街道の新庄宿の跡であり、がいぜん桜は、1906年に日露戦争勝利を祝してソメイヨシノ137本を植えたそうです。100年以上経ってもほとんどの桜が今も花を咲かせているというのです。「がいせん桜まつり」の時は大変の人出のようです。「がいせん桜」の類は全国各地に残っているのでしょうか。
さらに情報を追加すれば、新庄村は「日本で最も美しい村連合」に加盟が認められています。納得します。
画像

西粟倉村  
国道181号線の先には湯原温泉の旅で訪ねた「勝山」の古い町並みがあり、再度、車でゆっくり移動しました。やはり優れた街並でした。
落合インターで中国道に上がり、津山インターで降り、国道429号線(倉敷市・福知山市間)を北東に走りました。中国道の兵庫県に在る佐用ジャンクションで鳥取自動車道に移り、西粟倉インターで降りるのが通常のルートらしいのですが、岡山県北東に在る村を岡山県内だけでアプローチしてみたいと高速道路を利用しない道を選びました。整備された道を難なく西粟倉村に入りました。
兵庫県か鳥取県か岡山県のどの県の属する村かわからないような位置にある西粟倉村は、意外と開けており、想定したよりアクセスがとてもよいのです。
画像すなわち鳥取自動車道が村内を走り「西粟倉インター」が在ります。また山陽本線上郡駅と因美線智頭駅とを結ぶ「智頭急行智頭線」の駅が村内に二つ在ります。
現在、人口1400人ほどの村の主要な産業は林業で「100年構想」という事業を展開しているとのことです。
村の産業に占める観光に割合は知りませんが、「道の駅レストセンターあわくらんど」の食堂で食べた「おかやま豚とんかつ定食」は美味かった。「おかやま豚」というブランドは初めて知りました。その他利用した日帰り温泉「湯~とぴあ黄金泉」もほぼ合格の温泉でした。
その受付の私と同世代と思われる男性に「西粟倉村があるからには東粟倉村があったのですか」と問うと「あった」と返事しました。確かに、西粟倉村と兵庫県の県境の間に東粟倉という地名が今も残っています。2005年の5町1村が合併して「美作(みまさか)市」が生まれました。その時の唯一の村が「東粟倉村」でした。西の粟倉村は合併の道ではなく独立独歩の道を選んだようです。今後の村の発展を期待したい。
画像

6日目の帰宅
国道429号線で県境と越え兵庫県に入り、国道29号線(姫路市・鳥取市間)を南に、山崎インターで再び中国道に上がり東に、吹田ジャンクションで名神に、大山崎ジャンクションで、京都縦貫道に、そして夕方に帰宅しました。
総走行距離2050キロの長旅でしたが、ほぼ安全な運転で終え、心地よい疲労が残りました。
(おわり)


画像説明:訪問先の地図(@宮島A三次市B雲南市C皆生温泉D大山寺E新庄村F西粟倉村)、宮島口フェリー乗り場(右がJR、左が松大)、フェリー船(右が松大、左がJR)、宮島裏通り(「町通り」という)、宮島グランドホテル有もとのロビー、岩惣の本館(玄関・フロント)、千畳閣と五重塔、皆美館の玄関、鯛めしセット、江島大橋(手前が中海の江島)、アジア博物館・井上靖記念館の敷地内、同井上靖記念館の内部、東光園本館(写真の左上に雪を頂く大山がみえる)、大神山神社本社、大山の樹海(ネット見つけた写真で報告者も樹海と呼ぶ)、大山寺山門、林間学校の記念写真(豪円山で撮影されたらしい。私も写っている。この写真はブログで公開済)、同宿坊での様子(私も写っている)、がいせん桜(新庄村観光係撮影)、智頭急行智頭線西粟倉駅(左遠方が村のメインストリート)、おかやま豚とんかつ定食、湯~とぴあ黄金泉の露天風呂。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
琴平・小藪・湯布院・岩国・皆生の温泉の旅(下) 認知症あれこれ、そして/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる