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zoom RSS 別府・青島・都井岬の旅(上)

<<   作成日時 : 2017/07/16 18:50   >>

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九州東海岸の旅計画
7月の1回目の旅先は宮城県と大分県の温泉地でした。
旅の目的もテーマも失いつつありますが、4つのテーマ「温泉文化」「食文化」「宗教施設」「海岸線」の一つ「海岸線を走破する」に沿って、当初、まだ走っていない九州の東海岸―門司と都井岬の間―を走破する計画を立てました。京都から小倉まで新幹線で行き、小倉からレンタカーで都井岬まで走り、この間に別府に泊まり、都井岬から志布志に向かい、「フェリー」で大阪に戻るというコースでした。旅先は遠い場合、よく利用した「ニッポンレンタカー」は志布志に営業所がなく、小倉と志布志のどちらにも営業所があるのは、利用したことのない「オリックスレンタカー」のみで、計画は中断したままでした。

その後、5泊6日の計画で九州東海岸の佐賀関から門司まで沿岸を走ることになり、当初の小倉・志布志のコースを変更することにしました。すなわち、伊丹と宮崎の間は空路で往復し、宮崎空港のニッポンレンタカーで車を借りて乗り捨てることにしました。旅の欲が出て、せっかく遠方に出かけるので1泊2日ではなく2泊3日として、1泊目は別府、2泊目は温泉のある青島としました。1日目は、宮崎から別府までの沿岸部、2日目は別府から高千穂、椎葉(しいば)など山間部を走り青島へ、3日目は青島から都井岬へ、その後北上して西都(さいと)に寄った後、宮崎へ戻りました。今回も計画にはなかった想定外の発見や出会いもありました。一人旅の面白さです。

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1日目

コース
宮崎空港から車で別府まで沿岸部を走り、別府の「ホテル白菊」に泊まりました。途中、予定になかった日南の美々津(みみつ)で発見がありました。

一ツ葉道路
伊丹発宮崎行き始発のJALは乗客がまばらでした。宮崎空港のニッポンレンタカーの営業所で車を借り、北に走りました。さっそく、「シーガイア」または「フェニックス・シーガイア・リゾート」の近くに在る防砂林のなかの「一ツ葉道路」(有料だが高速道路ではない)」を走りました。1994年に「ホテル・オーシャン45」として開業し、その後経営破綻の後、「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」として営業を続けるバブル期の遺物的な高層のランドマーク的ホテルが目を引きました。「一ツ葉道路」からさらに北に一般道路を走りました。周囲の風景は宮崎あるいは九州と特徴づけるものはなく、車の運転は退屈でした。
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美々津
国道10号線(北九州市・鹿児島市間)で日南市に入りました。道路案内に「美々津海岸」とあり、洒落た名前に引かれて訪ねました。日本神話に詳しい人ならば「美々津」が「神武東征」の舞台であることは常識のようですが、私にはそうした知識が乏しく、帰宅後少し学習しました。
画像海岸に出ると、沖の岩場に立つ白い灯台―美々津港灯台―が観えました。もっとも海岸は名前のように美しくはありませんでした。国道に戻ろうとすると、「古い町並み」の案内板があり、こんなところにと思いつつ寄り道しました。石畳のりっぱな町並み―正式には「美々津重要伝統的建造物群保存地区」―でした。
ややくすんだ外観の民家が並び、古さを残しながらほどよく手を加えた町並みした。全国各地で観光向けに「古い町並み」が保存、改修、再建、ときに新築され、過度に壁を白く塗って綺麗にみせようと試みる観光地もあります。しかし、ここ美々津は生活の息遣いを感じさせるような調和のとれた街並なのです。これまで私が訪れたなかの瀬戸内の港「御手洗」(呉市大崎下島)の町並みを連想しました。

その一角に「日向市歴史民俗資料館」があり、入ってみました。本格的ではない手作り的な資料館の受付に高齢と中年の二人の女性スタッフがおられ、入館料210円を払うと、高齢の方が私一人のために説明して回ってくれたのです。
画像美々津は、耳川―翌日訪れた「椎葉村」に源流あり―の河口にあり貯木場として、また日向灘の海路の要衝として、さらに街道の宿場として栄えたそうです。神話的には初代天皇「神武天皇」がこの港から大和へ向けて出港した―「神武東征」―とされています。天皇制を補完するのに都合がよい神話を利用した戦前にあって、この港が1940年の皇紀2600年を合わせて「日本海軍発祥地」とされ記念碑が立っています。同じ年、帆船「おきよ丸」を大阪の堂島川まで航行させたというのです。

現在ある町並みは、江戸時代から瀬戸内や大阪との海運業で財を成した廻船問屋が建てたもので、その栄華が残る町並みでした。「このまま手を加えないほうがよい」と意見を伝えると、高齢のスタッフが「そうした意見を述べた方が一人いました」と話してくれました。その後、私の身の上話も加えて、会話が少し盛り上がりました。
「美々津」で思い出したことがあります。昔、私が「和紙」に凝って、全国の和紙を調べ、購入しました。その一つが「美々津和紙」で、購入したかどうか記憶が曖昧で、スタッフに聞くと、この街にいた唯一の職人は亡くなり、その和紙は手に入らなくなったとのことでした。

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日向サンパーク
帰り際に「このあたりで美味しいところは」と地元に人であるスタッフの聞くと、港の対岸に在る「日向サンパーク」を教えてくれました。温泉もあるというのです、寄ってみました。
日曜日の昼時といくこともあってか、立派な外観の館内に老若男女を多く見かけました。レストラン「潮音」で「海鮮丼」を注文しました。平均的ながら美味い丼でした。メニューに「蒸し岩がき」を見付け、店員に聞くと、地元産の牡蠣とのことでしたが、1000円とちょっと高いと思い、また「岩がき」が当たり外れたがあり、1000円払ってまで食べたいとは思いませんでした。帰宅して調べると、同じ日向市の細島の「細島岩牡蠣」というブラン物を知りました。日帰り温泉「お舟出の湯」もほどほどよかった。

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別府
日向から延岡、佐伯、津久見の各市を通過し、先の旅で通った臼杵市に入りました。ここ「臼杵インター」から東九州自動車道に上がり、「大分インター」で降りて、別府に入りました。外湯でよく知られる「竹瓦温泉」を確かめて、「ホテル白菊」に着きました。
ホテルは、別府八湯―「別府」「浜脇」「観海寺」「堀田(ほりた)」「明礬」「鉄輪(かんなわ)」「柴石」「亀川」―の「別府温泉」に在ります。

ホテル白菊
画像別府温泉郷に在る多くの旅館やホテル(約300軒)のなかから選んだのが「ホテル白菊」でした。宿泊料が手ごろで、「一人旅プラン」があることなどから決めましたが、期待どおりのホテルではありませんでした。
ホテルの駐車場に車を停めると、Tシャツスタイルの若い男性が出てきました。「あれ?!」と思ったのです。若い和服姿の仲居さんを想定していたのです。この程度のホテルかちょっとがっかり。大きなホテルの外壁に汚れも目立ちました。ひと昔前のスタイルの大型温泉ホテルです。フロントに居た支配人からいろいろ聞きました。戦後1957年にこの地で開業し、1980年に大型ホテルに改築したそうです。支配人の母堂も洋服姿で応対しておられ、挨拶しておきました。
部屋は洋風で内装にも痛みが目立ちました。朝食付きプランだったので、市内のグルメを調べていなかったので、無難なホテル内のレストランで夕食を食べました。「烏賊の刺身」「とり天」「海鮮巻」を注文しました。ともにほぼ合格でしたが、ボリュームのある料理で食べきれませんでした。宮崎名物の「とり南蛮」、ホテルの「とり天」と、一般的な「とのり唐揚げ」との違いがよく分かりません。

朝食はバイクングで、先の旅で味わった「ホテル九重」―料金的に違いはほとんどない―のバイキングと比べてしまい、欠点が目につきました。平均的な料理と、朝食のアルバイトの従業員服のおばさまといった方々で、別府湾と別府タワーがよく見える窓側の席でしたが、大きなガラス窓は汚れていました。
温泉ですが、大浴場は全体的に暗く、ゆっくり浸かる気にはなれませんでした。
団体客向けの温泉ホテルへと舵を切り替えているようです。よくできたホテルの公式サイトから受ける印象と実際のサービスとが乖離しているように思えました。

別府公園
画像ホテルの斜め向かいは森のよう景観が展開していました。支配人に聞くと初めて知る「別府公園」でした。規模の大きな都市公園でした。別府温泉を観光地とするに相応しいとして1907年に完成した公園で、戦前、博覧会会場としても使われたそうです。戦後、アメリカ軍のキャンプ場となり、その後、何故か陸上自衛隊の駐屯地になったそうです。観光温泉地に真ん中に自衛隊基地がおかれた経緯は知りません。1976年になってやっと別府市に返還されています。
公園の門の一つから北を望むと、別府温泉のシンボルの一つ「鶴見岳」(1375メートル)を背景し、その麓に広がり湯気を高く上がる建物群との見事の光景が展開していました。
翌日、ホテルからみた朝の光景では、麓の温泉街のなかに一世を風靡した巨大温泉ホテル「杉乃井」の建物も在りました。今もって変わらない別府の光景であり、日本の温泉文化を象徴する姿だと思いました。

別府タワー
画像東京タワーの設計者で「塔博士」の内藤多仲の設計で1957年に完成した「別府タワー」は、かつては別府温泉のシンボルで、関西方面から客船で訪れた新婚旅行などの観光客には格別のインパクトがあったようです。現在の姿を観ると撤去した方がよいと私は思います。別府が変わりつつあるからです。
別府市の統計によると一昨年の観光客数は約900万人で、前年と比べ増えています。しかし、別府市は、かつての温泉だけで観光産業を支える方針から、観光に加え文化―例えば「別府アルゲリッチ音楽祭」―、教育―例えば「立命館アジア太平洋大学」―など多角的なビジネスを展開しつつあると理解しています。実際、街を車で移動し、歩いてみると、街並みもよく、どことなく活気を感じ、私の知る最新の熱海との違いがはっきりしていると思いました。

竹瓦温泉
画像いつもの旅のようにホテルに着くと疲れてぐったりすることはなく、食事を終えてホテルの周囲を散策し、9時頃タクシーで市営「竹瓦温泉」に訪れ、温泉からホテルまで歩いて帰ったのです。
観光資源としてよく知られた「竹瓦温泉」は1978年開業で、当時、竹で葺いてあったそうです。別府市営温泉の18のうち一つで、現在の木造瓦葺きは1938年建設されたものです。広いロビーと天井の高い浴場があり、砂湯もあります。建物の痛みは目立ちますが、昔の別府の外湯の雰囲気を色濃く残していることは貴重です。地元の高齢者や若い旅行客が遅くまで温泉を楽しんでいました。入浴料100円は市民でなくても同額でこれほど安い外湯は知りません。もっとも昔風の温泉で浸かることが目的では身体を洗うなどの設備は乏しい。
古くて綺麗ではないが昔の雰囲気が残る外湯を楽しんだ後、タクシーを呼ばないでホテルまで緩やかな坂道の街を歩き、静かな別府の夜を楽しみました。
(中へつづく)
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画像説明:訪問先の地図(@日向市美々津町A大分川ダムB明正井路第一拱石橋C椎葉村D青島E鵜戸神宮F幸島G都井岬H田野インターI高屋温泉J西都原古墳群A:阿蘇山)、一ツ葉道路(遠景がシェラトン・グランデ・オーシャンリゾート、左手が日向灘)、美々津海岸と美々津港灯台、美々津重要伝統的建造物群保存地区(右手前が日向市歴史民俗資料館)、美々津港と日本海軍発祥地の記念碑と耳川河口、日向サンパークの建物(このなかにレストランと温泉がある。遠景は日向灘)、別府八湯の案内図、ホテル白菊、別府公園(正面から北を望む)、別府タワー(ホテルからの光景、遠景は別府湾)、竹瓦温泉浴場、別府温泉の遠景(ホテル杉乃井はみえない)。

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