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zoom RSS 別府・青島・都井岬の旅(中)

<<   作成日時 : 2017/07/17 15:22   >>

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2日目
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コース
別府温泉から、先日寄ったばかりの竹田市をかすめ、高千穂市を訪ねました。ついでに同じ宮崎県の山間部に在る椎葉村(しいばそん)に寄りました。その後、宮崎県中部にある「高屋温泉」で休んで青島にホテルに泊まるという計画でした。しかしレンタカーの「カーナビ」がなぜか椎葉村から熊本県人吉を経由する遠回りの道を指示し、想定外のコースを走ることになりました。

大分川ダム
画像別府から大分への国道は片側3車線で山が迫り左に別府湾と今回もドライブを楽しみました。大分駅の手前で国道10号線から国道442号線(大分市・大川市間)に移りました。
大分市の山間部に入ると突然、大きなダム(大分川ダム)の工事現場に出くわしました。この種のダム工事は八ッ場ダムが最後だろうと思っていましたが、ここでも建設中でした。
大分川ダムは、計画によると貯水量規模で八ッ場ダムの4分の1ほどで、近年一般的になった砂、小石、岩石を組み合わせるロックフィルダムです。例によって、多目的ダムですが、工事開始が1978年で、用地買収、漁業補償、目的変更などが絡んで2010年完成予定が2019年と遅れているそうです。背景がよくわかりませんが、ここでも一度始めたら最後までやってしまうという国や自治体の建設官僚の思惑が貫かれているのかもしれません。
もっとも、先日の九州北部の水害などをみると、ダムは在った方がよいのかなと思いたくなります。このダムも1952年の水害などが計画を後押ししたそうです。それにしも福岡県中部の水害のすさまじさ、とりわけ膨大な数な流木は驚きです。どこから流れてきたのでしょう。1959年の伊勢湾台風でも流木が被害を拡大したと言われていますが、そのほとんどは伊勢湾沿岸の貯木場から流出したものでした。

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六連水路橋
大分市から豊後大野市を抜けて、竹田市に入りました。前回の旅で印象があまりよくなかった市街地を避け、山間部の県道を南西に走りました。突然、アーチが6つの古い石造りの橋が目に入りました。見るからに灌漑用の水路橋でした。
帰宅後調べると、「明正井路(めいせいいろ)一号幹線一号橋」または「明正井路第一拱石橋」と呼ばれ、六連の水路橋で国内最大級のアーチ型石造水路橋だそうで、1925年に完成しました。当時のこの地方の土木技師は水が乏しい農地の灌漑用に建設したもので、現在17の橋が在るそうです。名称の「明正」は「明治と大正」、「井路」は古い用語で「水路」、そして「拱石橋」はアーチ型石橋を意味することも知りました。

梁塵窯
画像山間部をさらに上ってゆくと道端に「梁塵窯」の小さな道案内が在りました。こんな山のなかで陶芸をしている人がいるのだと、訪ねました。小さな集落のはずれに大きくはない民家と作業場が在りました。「休窯日」で、陶芸家は不在でした。帰宅後、ネットで調べると公式サイトに以下の自己紹介が載っています。

ここは、大分県竹田市。
堂々たる迫力でそびえる熊本の阿蘇と神話伝説の里がある宮崎の高千穂に挟まれた祖母山の麓、湧水あふれる山里です。
横浜のコーヒー屋をたたんで田舎暮らしを始めたのが二十数年前のことです。陶芸と巡り会って二十年余り、人の心を柔らげ和ませるような器づくりをしています。
未来を夢見る器のために。
梁塵窯 門馬進


そのサイトの作品が紹介されていますが、「泥彩」という手法も取り入れているそうです。竹田市ではよく知られた陶芸家のようです。

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阿蘇山を望む
宮崎県竹田市から一旦、熊本県高森町に入った後、国道325号線(久留米市・高千穂町間)で宮崎県高千穂市に入りました。この間、阿蘇山を東側から望みました。とげとげしい稜線でした。帰宅後調べると、阿蘇山すなわち阿蘇五岳の一つ「根子岳」(1433メートル)のようでした。

高千穂
高千穂を訪れる理由は、高千穂町に在る「高千穂神社」を観察するためだけでした。全国津々浦々の夥しい神社のごく一部を訪れて思うことは、その多くが明治政府の保護の元に復活し、万世一系の天皇とそれを裏付けようと神話を重んじ、それを国民が身近に受け入れさせようと神話と絡めた神社を位置づけたと考えます。その元祖的神社が「天孫降臨の地」とされる高千穂の高千穂神社と見なしました。
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高千穂町の東の山間部から坂を下って市街地に入りました。高千穂町の公式サイトに「神話と伝説の町」と自称していますが、どうみてもそのような光景はどこにもありませんでした。
高千穂神社も宗教的スプレーションが湧くこともない普通の神社でした。この神社の主祭神は「高千穂皇神(すめがみ)」で、その他多数の神―人間が考え出し意図的に付け加えた―は複雑で理解しがたい。この高千穂にはもともと数多くの神社があり、「高千穂神社」はその一つにすぎず、山岳信仰や神仏習合が例外なくこの地の宗教活動としてあり、地名から「三田井神社」と呼ばれていましたが、明治時代中期に現在の「高千穂神社」に改称しました。

だご汁
画像神社の若い神職に「近くに地元の料理を食べられるところは?」と聞いたら、丁寧に教えてくれました。もっともその店が見つからず、神社に近い「道の駅高千穂」に行きました。そこの食堂が提供する唯一の郷土料理らしい「だご汁定食」を食べました。ほどよく美味しく元気の出る汁物でした。「だご汁」または「だんご汁」の元祖が大分県だそうですが、現在は九州各地で食べることができるそうです。とん汁に小さい円形の麺(だんご)が入ったものです。


椎葉村
高千穂から宮崎に向かわないで、根拠曖昧ながら日本三大秘境の一つとされる「椎葉村」に遠回りしました。あと二つの秘境は「白川郷」と「祖谷渓」とされ、これに則れば三カ所とも訪問済となりました。たしかにこの三カ所とも今でこそ道はよいが、ひと昔前はアプローチが困難だったと思われます。そういう意味で秘境に該当するのでしょう。
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国道218号線(熊本市・延岡市間)で隣の「五ヶ瀬町」に入り、再び熊本県山都町をちょっとかすめ、再び阿蘇山を南から望みました。国道265号線(小林市・阿蘇市間)で椎葉村に入りました。両側に高い山が迫る道は意外とよく舗装され、長いトンネルを抜け、坂をどんどん下りました。その間、集落を観ることはほとんどありませんでした。めずらしくも先の大戦中に耳川(その河口が美々津)に建造された発電用「岩屋戸ダム」のダム湖の橋を渡り、右に折れて村の中心地に向かいました(左方向は国道327号線日向市方向)。国道の整備状況は何故かばらつきがひどく、車がすれ違えない箇所もいくつかありました。

画像突然、前方の山の斜面に集合する多くの民家が見えてきました。椎葉村の中心地です。全国各地に在る「平家落人の村」と共に「日本で最も美しい村連合」に加盟する村という以外は予備知識がありませんでした。盛んに道路案内が示される「鶴富屋敷」または「那須家屋敷」と「椎葉民俗芸能博物館」を急いで見て回りました。鶴富屋敷は江戸末期の建物で、内観が立派な屋敷でした。残念ながら萱葺を銅板葺で覆いっていました。この地で萱葺の管理が難しいのでしょう。近くの博物館は地元の村に伝わる民族芸能の真新しい資料を展示していました。どちらも余り興味の湧くものではありませんでした。
屋敷のスタッフに、地元料理を聞くとたが、その日、川魚はなく蕎麦があるくらいとのことで諦めました。私が訪れた時、観光客は私一人でした。

この村が「日本で最も美しい村連合」に加盟しているということですが、私の第一印象からして、該当しないのではと思いました。その後に知った「上椎葉ダム」の在る村でダム湖に村の一部を沈ませた村が「美しい村」と呼んでよいのか疑問に思いました。
林業の他産業が乏しいだろう椎葉村にしてみれば、日本三大秘境のひとつ、「美しい村」のひとつ、そして後から知る「ひえつき節の里」は欠かせない観光資源でしょう。

ひえつき節
帰宅後、松江の友人に椎葉村の話をするなかで民謡「ひえつき節」の発祥の地であり、そのなかで歌われる「鶴富姫」の悲恋物語も初めて知りました。
平家の落人を追ってこの地にやってきた源氏の那須大八郎が、落人がこの地で平和に暮らしている姿を観て、戦う気力を失い、この地で暮らすことにしたのです。そこで平家の鶴富姫と出会い、子供を宿したというのです。大八郎は帰還すべき命令を受け椎葉を離れ、その後、二人は会うことはなかったというのです。生まれた女児に那須の名を付けたというのです。もっともこれは、「平家物語」などの古典に出てくる話ではなく、村に伝わる伝説または作り話と言われています。
もともとあった山村の労働歌、あるいは作業歌あるいは「夜這い歌」であったとのことですが、村の悲恋伝説を「ひえつき節」の歌詞として活かし、これが「五木の子守歌」と同様に民謡としてヒットさせたというのです。

私には節まわしが難しく、何度聞いても歌えませんが、民謡の最初の歌詞は確かに「夜這い歌」そのものでしょう。

庭の山椒の木鳴る鈴かけて
鈴の鳴るときゃ出ておじゃれ
鈴の鳴るときゃ何というて出ましょ
駒に水くりょというて出ましょ


今年も「第31回ひえつき節日本一大会」が9月9日から10日に椎葉村で開催されます。

上椎葉ダム  
印象が薄かった椎葉村から南東方向に、西米良村、西都市を経由して青島に向かう計画でした。レンタカーのカーナビがなぜか反対方向の人吉への道を指示したのです。おかしいなと思いながら、初めての土地で引き返すチャンスをなく、そのまま遠回りしました。
その間違ったコースは、村役場の裏山の坂道を上り、初めて知った「上椎葉ダム」のダム湖「日向椎葉湖」の湖岸道路でした。
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この「上椎葉ダム」をネットで調べると、興味深い歴史を知りました。
椎葉を上流とする耳川は、戦前、中流域に発電用「塚原(つかばる)ダム」が建設されました。佐久間ダムと同じ重力式ダムで、戦前の1938年に完成し、当時として最も高いダムでした。その上流に「岩屋戸ダム」が1941年に建設されました。同じ耳川上流にさらに発電用ダムを建設する構想はあったが戦争で実現しませんでした。
戦後、いち早く九州の電力基地として椎葉村が注目され、「上椎葉ダム」の建設が1950年に始まり、五年度に完成しました。そのダムは、当時、世界的に最先端のアーチ型ダムでしかも100メートルを超える高さの本格的なものでした。使うセメント量に比べて貯水量が多くできすアーチ型ダムは、この種のダム建設に経験が乏しい日本の土木技術陣でしたが、みごとに完成させました(犠牲者105名)。
私が訪れた椎葉村のロケーションからして、よくもこんな山奥に最新式のダムを建設したものだと信じ難いほどでした。はるか東の日向灘の港からセメント、重機を送り込みこと自体も難しい作業だったと思います。工事用道路を造り、運搬用ロープを張ったようです。この経験が後の日本を代表する1963年完成のアーチ型ダム―黒部ダム(高さ180メートル)―の建設の基礎になったと言われています。

ネット時代の有難いことに、この工事の記録映画がYouTubeで観ることができるのです。また建設前の椎葉の人たちの生活もカラーで観ることできます。岩波映画と似た「新理研映画」の記録映画で、どの動画も感動的で前向きで明るく描がかれています。実態と離れていると思われますが、九州電力が企画した記録映画だから仕方ないのでしょう。セメントは南延岡駅から専用のロープウエイで8時間かけて現場に輸送される様子が描かれています。

余談ですが、ダム建設の歴史を調べていると、戦後のことですが、フランスで1954年完成したアーチ式「マルパッセダム」(高さ66メートル)は、1959年、急速な貯水の影響でダム本体の地盤が崩壊しています。死者500人ほど。その後、イタリアで1960年に完成した同じアーチ式の「バイオントダム」(高さ262メートル)は、1963年にダム湖周囲で地滑りが起こり、ダム湖に津波を起こしダムを越えた多量の水が下流に押し寄せ2000人余が亡くなっています。こうした事故がその後のダム建設に活かされたことは言うまでもないでしょう。

「カーナビのいたずら」
レンタカーは久しぶりに使いました。知らない土地での運転にカーナビは欠かせません。レンタカーのカーナビは標準装備ですが、レンタカー会社によって、あるいは営業所によって装備されるカーナビの機種や更新時期はまちまちです。このため、運転を始める時、カーナビの使用方法や「くせ」を知る必要があります。今回、椎葉から青島までの設定で方向違いのルートを指示したのか今もってわかりません。

もっとも車の一人旅では、こうしたハプニングが意外な発見や出会いに繋がることあります。「上椎葉ダムの発見」は当初のルートでも同じダム湖の別の道を走っていたことになり、ここでも「遭遇」したでしょう。しかし椎葉から青島の途中に寄ることにしていた「高屋温泉」と今回の旅で貴重な温泉でしたが、旅の2日目ではなく3日目に訪れたことで、日帰りながらゆっくり楽しめました。くわえて「西都原(にしばる)古墳群」を初めて知ったことは計画変更による発見かもしれません。

青島への道
上椎葉ダムのダム湖「日向椎葉湖」は他のダム湖と同様に湖岸道路は難路でした。道幅は狭くて蛇行が多く、対向車に注意しなければなりません。何回となくハンドルとブレーキとアクセルを操作しなければなりません。さらにダム湖の風景はどこも似たり寄ったりで新鮮さも驚きもありません。くわえて、自分から選んだ道でのではなく、間違った指示による道を走っているという無駄な努力との思いが重なり、とても疲れました。

山中に県境を越え熊本県水上村に入り道は下り坂となりました。ここで再びダム湖―球磨川上流の多目的ダム「市房ダム」のダム湖―に出会いました。
このダムを過ぎるとやっとゆるやかな平地となり、初めて聞く自治体「湯前町」「多良木町」「あさぎり町」「錦町」「相良村」が続き、代わり映えのしない球磨川沿いの道を西に走り、やっと「人吉市」に入りました。人吉インターで九州自動車道に上がり、えびの市で宮崎自動車道に移りました。久しぶりに霧島連峰を望みました。相変わらずすばらしい山の姿でした。宮崎県に入り、宮崎インターで国道に降りて、青島に向かいました。

青島サンクマール
青島を訪れるのは初めてではありません。前回は多分、学生時代に下田で働いた後、九州を一周したときに訪ねたと記憶しています。
小さな青島の対岸に大小、多くのホテルや旅館が立ち並んでしました。その間を走り、南の端に在る南欧風の外観のホテル「青島サンクマール」に着きました。温泉あり、一人旅プラン、料金、場所からこのホテルを選びました。「青島温泉」のホテルは日帰りサービスを提供しており、到着時、老夫婦―私より一世代上らしい―らがホテルから出て、車で去りました。
フロントの女性スタッフにホテル名「サンクマール」(サンク・マール)の意味を聞きましたが、要領を得ない答えでした。フランス語的に翻訳すれば「五人男」となりますが、ホテルのサイトでは「五感」を強調する造語のようです。
ホテルの左遠方に天然記念物「青島」が観え、右は日向灘、ホテル直下に青島と同じ「鬼の選択板」(地質学的には波状岩または奇形波蝕痕)が在ります。「ロケーションがいいですね」とフロントの男性スタッフに聞くと「国定公園内に在ります」との返事でした。
ホテルが開業した10数年前とはいえ、国定公園内にホテルを建てることができるのかと疑問に思いました。帰宅して調べると、ホテルはJAの関連施設で「宮崎県農協共済福祉事業株式会社」が運営する「JA共済宿泊保養施設」の一つで「JA共済」に加入していると特典があるようです。宮崎で強いだろうJAだろうから、青島界隈の一等地に建てられたのだろうと勝手に推測します。
ホテルが提供する「青島温泉」のほぼ大浴場は申し分なく、海岸側の狭いテラスで寝そべるという贅沢を楽しめました。露天風呂もありますが、家族風呂に限定で利用しませんでした。
食事ですが、夕方は食堂の準個室でいただきました。美味くもなく不味くもない料理でした。朝食はバイクングで、品数は少ないが標準的でほぼよろしい。もっとも果物の「パパイア」はありませんでした。
(下へつづく)
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画像説明:国道3号線(別府・大分間)、大分川ダム工事現場(ロックフィルダム本体工事の様子)、六連水路橋、梁塵窯の窯元遠景と「泥彩」の「塔の灯り」、東から望む阿蘇山、高千穂神社(本殿)、だご汁、岩屋戸ダム、椎葉村中心部(遠景)と鶴富屋敷、上椎葉ダム(放水中。ダム湖の左岸を走った。左下は村立椎葉中学校)、ホテル青島サンクマール。

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