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zoom RSS 別府・青島・都井岬の旅(下)

<<   作成日時 : 2017/07/18 20:54   >>

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3日目
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コース
ホテルから日南海岸の国道220号線(日南市・霧島市間)を南下し、日南市から国道448号線(宮崎市・指宿市間)で都井岬に向かう予定でした。しかし海岸沿いの国道の一部が路肩決壊のおそれで全面通行止めとなり、内陸部の県道を走り、再び海岸線に出ました。幸島(こうじま)を観たのち、都井岬まで走りました。都井岬から串間市街地を抜ける道で、前日訪れることができなかった「高屋温泉」へ北に走りました。そこで温泉で昼食と入浴を楽しんだ後、初めて知った「西都原(さいとばら)古墳群」を訪れ、その後宮崎市の宮崎神社を訪れてのち空港まで走りました。伊丹行の最終便で帰路につきました。

日南海岸
旅のテーマの一つの「海岸線を走破する」に則ってまだ走ってない青島から都井岬を経て串間市までのほぼ海岸線を走りました。サーフィンを楽しんでいる若者たちの姿もありました。すばらしい海岸風景が展開しました。この岬までの国道は比較的高い位置にあり蛇行は少なく、岩や崖や白浜の海岸を観ることができました。これまでの私の旅のなかでトップクラスの海岸風景で、「日南海岸国定公園」―青島から都井岬までの太平洋の沿岸および肝属(きもつき)川河口までの志布志湾沿岸―を納得しました。


鵜戸神宮
画像国道の脇に立つ観光案内に「鵜戸(うど)神宮」をよく見かるので寄ってみることにしました。参道の一部が通行規制で本殿の近くまで車が使えず丘の道を歩かなければならないと知り諦めました。ネット情報によると岩壁のなかに大きな本殿が在ると言う特異な神社で、創祀はヤマト王権の時代まで遡り、海洋信仰の修験道の場であったそうです。現在は縁結び、夫婦和合、安産などの神頼み信仰で知られ、宮崎が一時新婚旅行で流行った時期には新婚夫婦が多くこの神社を訪れたそうです。


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日南市飫肥
日南海岸中核都市の日南市は大きな街だなと思いつつ通過しただけでした。しかし、その日の宮崎空港でグルメを物色していると「おび天」を見つけました。薩摩揚げの類のようでしたが。「おび」が何を意味するかにわかには理解できませんでした。その「おび天」を一枚買って食べました。やはし薩摩揚げでした。その包み紙に「元祖おび天本舗」の本店が西南市飫肥にあるというのです。飫肥を「おび」と読むことは初めて知りました。その飫肥が城下町で小京都だと説明書きがありました。寄っておきたかった古い町並みが残っているようです。
もっとも飫肥は、都井岬から西都市に行く途中の宮崎県南部の険しい山間部を走った時、「飫肥杉」を初めて知りました。かつては木造船の建材として質のよい杉を多く生産したそうです。
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幸島
画像日南市から南下し通行止めの国道448号線からう回路の内陸部を走り、再び海岸線の国道に出たしばらくすると「幸島」の案内板を観ました。
その1週間ほど前、NHKテレビで京大の猿の生息観察の島だと知りました。そのニュースは島と対岸の間に砂が堆積し、島から陸へ猿を渡らないように監視している様子が映し出されていました。これでは人的介入が加わり、「自然観察」にならないのではと疑問に追いました。
幸島は、1948年、京大の今西錦司らが野生馬を観察するため都井岬を訪れてとき、この島の猿を知って、馬より猿の方が観察対象として相応しいとして、その後の継続的観察が始まり、現在は「京都大学野生動物研究センター」の施設の一つ「幸島観察所」が置かれています。島には100頭近くが生息しているそうです。
それにしても、食料が乏しく生活も苦しかっただろうこの辺地で暮らす人たちは「猿を観察する学者」をどう見ていたのでしょう。
私が訪れた時は島にも猿の姿はありませんでした。

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御崎馬
都井岬の野生馬の生息地に入る「駒止の門」に着くと、中年の女性の方が車に近づき協力金を求めました。強制的ではないようでしたが、払わないと通してくれないといった雰囲気で400円を払い、パンフレットを受け取りました。そのパンフレットに「都井御崎放牧組合」とありました。この組合が「駒止の門」の管理を含め御崎馬の世話を担当しているそうです。帰宅後にその冊子を読んで驚きました。

300年ほど前にこの地に高鍋藩(現在の宮崎県南東部を領地とする)が軍馬の放牧を始め、放牧地のひとつが都井岬で、ほぼ自然のなかで育てられた馬が現在まで生き延びているというのです。この間、人為的な交配はなく、世界で唯一の野生馬とされる「モンゴルの馬」に近い品種で、ほぼ野生に準じた馬と見なされているそうです。この準野生馬である「御崎馬」は、現在もできるだけ人の手を加えないように扱い、餌を与えてはいませんが、馬が食べやすいような牧草の管理を組合が行っているというのです。パンフレットには馬の交尾する写真と共に白骨化した馬の写真も載せています。その説明は以下のとおりです。
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自然の中で生まれ、育ち、やがて自然の中で死ぬのは、自然の中で生きるもの全ての掟でしょう。御崎馬はその死を目撃することはもちろん、死体を発見することさえ至難のことです。繁殖シーズンには華やかであったハーレムの種雄馬も14〜15歳になるとその力は衰え、ハーレムの雌馬は1匹、また1匹と去って行き、自分だけになります。やがて消えるように自然に帰って行き、その屍はしばらくたって発見されます。

なかなかの思惟された名文です。

都井岬の中核的観光施設である「都井岬ビジターセンター」で、さらに入館料が求められたので館内見学は止めました。このセンターは放牧組合ではなく「串間市観光物産協会」が運営しているらしく、二つの関係はよくわかりません。
私が訪れた時、馬は一頭も見かけませんでした。

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高屋温泉 
温泉宿探しの参考にする「日本の宿総覧」には宮崎県の2軒の宿が紹介されています。その一つが「高屋温泉」です(もう一軒は青島温泉の「地蔵庵」)。なかなか趣のある山の中の一軒家の温泉宿でした。
「東九州自動車道」の「西都(さいと)インター」で降りて、しばらく西に走ると「高屋温泉」の大きいがすこし痛んだ広告塔にすぐに気づきました。その横の坂道を上り林のなかを走るこじんまりした「高屋温泉」が在りました。高屋温泉という名前の旅館と、道を隔てて赤と青の二枚の暖簾がかかった浴場がありました。
宿の玄関を入って声をかけると若い主人が出てきました。予約なしでも昼食が食べられるというので、メニューにある「鯉三品定食」を注文しました。広い畳の部屋の食堂で待っていると、想定外に若い美人の女将が現れ、併せてノンアルビールも注文しました。
画像さほど待たなくて料理が出てきました。「鯉のあらい」「鯉の甘酢餡かけ」「鯉こく」の三品です。どれも美味い。今まで食べた鯉料理のなかで特別に美味かった。併せて「白米」の飯もまた美味かったのです。客が多いとは思われない温泉宿で、飛込の客にこれほど早く美味い鯉料理は初めてです。玄関前の庭先の池に20匹以上の鯉が泳いでいました。これを使った料理とのことですが、温泉宿を切り盛りする若い二人に敬服しました。主人に聞くと、昭和の初めにこの地で創業し、現在4代目だそうです。
食後、向いの浴場で入浴は私一人で、貸し切り状態で温泉を楽しみました。温泉も宿も古いながらよく維持管理されていました。
宮崎県でお薦めの温泉宿です。

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日向国分寺跡
心地よい満足感にひたりながら宮崎空港に向かうにはまだ早く、初めて知る西都市の市街地に行ってみました。その途中に「日向国分寺跡」の案内板があり、寄ることにしました。
国分寺跡はさほど広くはなく、わずかな石垣などが在るだけです。先の旅で訪れた「備中国分寺跡」と同時代で奈良時代に建てられたものらしいが遺構が少ないようです。
その脇に、「木喰五智館(もくじきごちかん)」の建物があり、江戸時代後期にこの地を訪れた遊行僧の木喰が彫った仏像5体が並んでいました。同じく遊行僧で全国を回り粗削りの木像を残した円空とは時代が新しく5体の仏像は大きく、丁寧に彫られユーモアに富み穏やかな素人風の木像でした。
訪れたこのあたりの地名が「三宅」ですが、何か縁があったのか、無かったのか、多分無かったのでしょう。

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西都原古墳群
西都市街地でもうひとつ初めて聞く「西都原(さいとばる)古墳群」も訪れました。これも驚きの広域の墳墓群でした。
広大な古墳群の区域に入ると道の両側に形の異なる数多くの大小の墳墓があるのです。大阪の堺近辺で見かける大型の墳墓ではなく、多くは小形の円墳です形も大きさもさまざまです。1912年に本格的は調査が始まり、3世紀から7世紀にかけての319基の墳墓が確認されています。地元の豪族の墓と言われています。古墳群に一角に「宮崎県立西都原考古博物館」があり無料で見学しました。
私は古代史にあまり関心はなく、ここでしか観ることができないめずらしい歴史的遺構ということで見学しました。日本の歴史で九州のこの宮崎の一角に巨大勢力が在ったことの証だろうと思いました。それだけのものでした。
墳墓群の間に畑があり、最近では珍しいと思われるタバコの畑もあり、収穫前のようでした。

陵墓参考地
画像博物館から帰り道、木が生い茂る周囲とは異なる光景が気になりました。近づいてみると立札があり「宮内庁」および「陵墓参考地」ありました。帰宅後調べると、神話上の神を葬るとされる大型の「男狭穂塚(おさほづか)陵墓参考地」とわかりました。その近くに同様の「女狭穂塚(めさほづか)陵墓参考地」があり、共に宮内庁の管理下で調査は行われたものの非埋葬者が不明のままで、宮内庁が皇室と関係ありと勝手に決めた墳墓のようです。多分、戦前から同じ扱いだったと思われますが、宮内庁の権限が宮崎のこの土地まで及んでいるとは驚きです。なおウイキペディアによれば、「「陵墓参考地」は、古記録・地域伝承・墳丘の形態や規模・出土品等により、宮内庁によって皇族の墳墓とされたが、被葬者を特定する資料に欠ける陵墓。2府16県に46箇所が所在する。」と解説されています。京都府にも11カ所あるそうです。

戦闘機
画像宮崎市内に向かっていると、かなり低空を2機の灰色の戦闘機が編隊を組んでゆっくり上昇していました。京都では見かけない光景ですが、この地も沖縄でも日常的な光景なのでしょう。西都市の東隣りの新富町に、かつては航空自衛隊のパイロット訓練場だった「新田原(しんたばる)基地」が在ります。

宮崎神宮
画像宮崎市街地で宮崎神宮を訪れました。神話上の天皇「神武天皇」を祀る神社ということで観察しました。神社は「神武さん参り」を勧めながら、各種のお祓いも提供し「車のお祓い」は3000円で請け負っていました。同じ境内なのか隣接する境内なのか「宮崎縣護国神社」も在りました。靖国神社ほど話題にはならないようですが、殉職した警察官、消防士、公務員、自衛隊員などの公務員は自動的に神として祀られることになっています。今時不思議な慣習です。


再び霧島酒造
画像伊丹行の最終便を待っている間、空港規模にしては多すぎる土産物屋を物色しました。売店の中年の女性に「霧島より美味い焼酎はありませんか?」と冗談交じりに聞きましたが、答えは返ってきませんでした。この空港で前回は霧島酒造の「吉助・赤」を買いました。今回は京都で手に入りにくいと思われる、ほぼ同じ値段の「霧島酒造志比田工場原酒」を買いました。比田工場は本社と同じ都城市に在る新しい工場だそうです。原酒はまだ飲んでいません。
伊丹行JAL最終便は8割ほどの搭乗者でした。伊丹では午後9時に空港が閉鎖され暗くなってからMKスカイゲイトシャトルで京都へ帰りました。
(おわり)


画像説明:日南海岸(串間市恋ヶ浦)、鵜戸神社(観たわけではない)、元祖おび天本舗宮崎空港店、飫肥杉の森林(日南市)、幸島と幸島観察所、都井岬駒止の門、交尾の馬と白骨化した馬(都井御崎放牧組合の冊子「日南海岸国定公園都井岬天然記念物野生馬」より)、本館へのアプローチと鯉料理三品と浴場(どもに高屋温泉)、仏像五体(木喰五智館)、西都原古墳群(一部)、男狭穂塚陵墓参考地(入口)、2機編隊戦闘機(低空のこうした光景を初めて間近で観た)、宮崎県護国神社(宮崎神宮の「車払い」の案内あり)、霧島酒造志比田工場原酒。

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