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zoom RSS 湯ヶ島・西山・小涌谷・袋井の旅 A

<<   作成日時 : 2017/07/30 17:38   >>

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2日目
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コース
二日目の宿は、山梨県の西に位置し赤石山脈(南アルプス)の東の山麓に在る早川町のほぼ真ん中に立つ「西山温泉慶雲館」でした。湯ヶ島温泉から国道414号線を北に走り、国道136号線と交差する三叉路を西に走り、温泉地で港町の土肥(とい)に入りました。ここから伊豆半島の西海岸を北へ、そして北海岸を東へ、さらに半島の付け根の西海岸を北に走り、沼津市街を抜け国道1号線を富士市まで走りました。さらに富士川を渡り右に折れ右岸へ、その後左岸に移り右にJR身延線を見ながら県道を北に走りました。身延線身延駅付近で富士川を西に渡り、右岸を北に上がり、しばらく走って左に曲がり県道で早川町に入りました。赤沢に寄った後、富士川の支流「早川」に沿って山深いなかを整備された道をひたすら北上し、慶雲館の前を通過して奈良田温泉を訪れた後、宿に戻りまし
た。

伊豆半島北西部
画像下田街道(国道136号線と414号線)から西海岸の土肥に至るまでの険しい山間部の道(国道136号線)は橋とトンネルで繋がれ驚くほどよく整備されていました。こんなに整備する必要はないだろうと思うほどの立派な山岳道路でした。先の旅で泊まったことのある土肥の街中にはいると道は急に狭くなり右に折れました。海に迫る山麓の県道の整備はまちまちで、蛇行とアップダウンの連続の道でした。途中、漁港で集落を成す「戸田(へだ)」、海水浴客を散見した小集落の「井田(いた)」、海水浴とダイビングでよく知られた「大瀬崎」を寄り道しました。いずれも富士山を遠望できる所ですが、富士山の輪郭がぼんやり見えただけです。
この界隈の観光地は、富士山―とくに雪を頂く富士山―が遠景にあるかないかでインパクトは格段に異なるように思いました。

ダイビングスポット
画像伊豆半島の北海岸から半島の付け根の西海岸の駿河湾、その奥の内浦湾と江浦湾にはダイビングの店が点在し、若いダイバーも散見しました。伊豆半島の沿岸は全般的に山が海に迫り平地が少なく、山が一気に海に落ち深い海域を形成していると思われます。この一帯はその傾向が顕著なようで都会近くでダイビングを楽しめる適地のように思われます。そうして世界を私は自分の目で確かめたことはありませんが、「Diver Online」の大瀬崎について以下の解説があります。

安定したコンディションでじっくり生態観察&撮影できる海
伊豆半島の西海岸、沼津から南へ車で約1時間、駿河湾に細く突き出した800mほどの岬が大瀬崎だ。 ここは、波静かな海岸沿いにはダイビングサービスが10以上軒を連ねる伊豆屈指のダイビングエリア。ダイビングポイントは、「湾内」「岬の先端」「外海」に大別され、それぞれ海底環境が異なるので、さまざまな生物を見ることができる。「湾内」はすり鉢状の砂地、先端は急角度で落ち込む岩場とゴロタの崖、そして外海は、砂地と岩礁地帯が入り交じっている。南西に延びた岬が自然の防波堤のような役目を果たすため、湾内は穏やか、台風直撃などよほどのことがない限り潜水可能なので、初心者の海洋実習にもよく利用される。 また、最深部は水深約2500mという深い駿河画像湾の再奥部に位置するため、他のダイビングエリアではあまり見られない深海性の生き物が出現することもある。こうした立地条件から、珍種含め、生き物が豊富なため、ホームゲレンデとしても毎週のように通うベテランダイバー、カメラ派ダイバーも多い。 夏には海水浴客でにぎわうほか、岬の先端には、漁民信仰の対象である大瀬神社や、国の天然記念物・ビャクシン樹林、海に隣接しながら真水をたたえ伊豆の七不思議の1つに数えられる淡水の神池があり、観光ポイントとしても親しまれている。


タカアシガニ
生きた化石といわれる大型蟹「タカアシガニ」の料理を出す店が海岸沿いに多くありましたが、まだ食べたことはありません。ネット情報では一匹1万円から2万円だそうで、さほどおいしくはないという評判のようです。

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安田屋旅館
内浦湾の奥の湾岸の三津(みと)浜には4軒ほどの旅館、ホテルがあります。道路に面した「湯の花温泉」(京都亀岡にも「湯の花温泉」がある)と自称する「安田屋旅館」に寄りました。1889年創業の登録有形文化財の旅館で、太宰治が滞在した宿を売りにしています。当日は、休業で外から観察しましたが、前泊した「落合楼村上」と比べてしまい、泊まってみたくなる宿ではありませんでした。

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沼津御用邸記念公園
さらに駿河湾に面した道路を走り、国道414号線に移り、北上していると、「沼津御用邸記念公園」の案内板を見つけ、休息もかねて寄ってみました。駐車場は無料だが入園料400円で公園内に入りました。皇室ファンではありませんが、皇室の御用邸の類として「桂離宮」(見学無料)は今年を既に2回度見学しました。ついでここも観ておこうという程度の理由で見学しました。
大正天皇が皇太子の時の1892年に彼の静養のために建てたのが始まりだそうです。生来病弱とされた皇族のための御用邸です。駿河湾の海岸沿いで向かいに伊豆半島の山を望む一等地です。「桂離宮」と比べると建物は意外と質素な木造でした。こうした古い建物や民家を見学する時、必ずと水の確保とトイレを観察してきましたが、今回は止めておきました。わざわざ見学するほどのものではなく、当日入園者は私のほか3人でした。1969年皇室が沼津市に無償貸与し、現在は地元企業が管理運営を委託されています。
旧厩舎を改造した喫茶茶「主馬(しゅめ)」で昼食代わりに串団子を食べて出ました。

富士川と身延線
画像沼津市街地を通過して国道1号線に出て、ひたすら西に走り、富士川を渡り、右に折れて川沿いの県道を北に走り、途中から左岸を身延線の沿ったやや狭い道を走りました。このあたりは先の旅で「下部温泉」に泊まった時に走った道です。
身延線の3両の特急「ふじかわ」を偶然、観ました。静岡駅と甲府駅の間を連日上り下り、各2本運行されている特急です。

身延駅の駅前通り日蓮にちなんで「しょうにん通り」と呼ばれていますが、いかにも観光のために造られた新しい町並みでした。意図は別にして蔵の通りをイメージしたそれなりよくできた門前町風の商店街でした。
その町並みから富士川を渡り、久遠寺に向かわないで身延町内から早川町に入りました。

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赤沢宿
前日、ネットで早川町の情報を集めていると、この町に重要伝統的建造物群保存地区「赤沢宿」が在ると知りました。
その宿場を訪れるため県道から山の方に折れ、幅の狭いほとんど林道のような坂道を上がりました。さほど遠くはない先の急斜面に赤沢の集落がありました。その集落の民家は外見が似たしっかした造りでした。家から丁髷姿の男が出てきそうな雰囲気でした。これらの民家はかつて宿屋を営んでいたそうで、現在は、1軒を残すのみとなっています。赤沢宿の形を残しながら、人が棲む家と空き家が混在していました。

画像この赤沢宿は、宿場としては宗教的に特異な状況のなかで在り続けてきたのです。赤沢の東に身延山(標高1153メートル)が、西に七面山(しちめんさん)(同1989メートル)があります。身延山は日蓮が開いた久遠寺の山号であり、七面山は久遠寺の守護神の「七面大明神」または「七面天女」を祀る「敬慎院」が置かれ、ともに日蓮の修行の場とされてきました。こうしたいきさつから日蓮宗の僧侶や信徒の修行の場となり、その厳しい修行を強いた人たちが頼る宿場として赤沢が在ったのです。
しかし近年、周辺道路が整備され身延山はもとより、七面山の麓までバスで行けるようになり、赤沢宿は廃れてきました。30軒ほど在った宿も現在は1軒「大阪屋」を残すのみとなりました。先の大戦前まで宿場として機能し、現画像在もその役割を終えたわけでないので、全国の各地の旧宿場と異なり、その原型がかなり保存され、私たちの前に在ると言えるでしょう。

集落のなかにある観光客向けの休憩所「宿の駅清水屋」に入りました。そこのレジに立つ若いきれいな女性にから聞きました。現在、集落の人たちは道路工事などで生計を立てているそうです。集落にはこの建物の他、週末に営業する蕎麦屋1軒と宿1軒でのみです。また集落周辺にわずかな農地があるだけでした。
「清水屋」で特産品を探していると、早川町産の緑茶から造った「雨畑紅茶」を見つけ買いました。帰宅して水出し紅茶で飲みました。よくできたい和紅茶です。


早川町 
人口約1000人の早川町は「日本で一番美しい村連合」に加盟しています。明石山脈の東の麓に在り、早川渓谷に平地は少なく、山腹にも民家が散在している、確かに美しい町でした。先の訪れあまり美しいとは思わなかった宮崎県椎葉村との違いは、3000メートル級の山々の麓の奥深かい緑に包まれた自然と人の営みによるのだろうと思いました。
それにしても日本各地を車で気ままに旅をして、多彩で緑多いこの国の美しさを知ります。

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中央新幹線
この美しい町に新たな近代化の津波が押し寄せていました。2027年開業予定の「中央新幹線」です。町内で河川敷などにソートで覆われた大量の土盛りの山を認めました。福島原発関連の除染土がこんなところに運ばれることはないと思いながら思案しました。川沿いの県道にダンプカーの往来が多く、静かなはずの町がなんとなくざわめいているとの印象を受けました。リニア工事の看板は見かけなかったのですが、県道の傍に大手建設企業の現場事務所の建物を見つけ、やっとにリニア工事―「中央新幹線のトンネル工事」―だとやっと気づきました。
画像帰宅して調べると、早川町では町役場とその日泊まる「慶雲館」の中間にある新倉地区が本体のトンネル―「約25キロメートルの南アルプストンネル」―の工事のための坑道の工事口であり残土の排出口になっているのです。排出した残土は同じ自治体内で処分するとの取り決めがあるのでしょう。その盛り土だったのです。

ネット情報によると、早川町では工事に関わる反対意見はほとんど無い、または言えないそうです。先に旅で訪れた私が知る日本で一番美しい村の「大鹿村」は、赤石山脈を挟んで早川町の西隣に在ります。この村では反対運動があり、現在も裁判闘争を続けています。また村が賛成するにしても条件闘争を続けていると聞きます。同じ中央新幹線への「美しい村の熱い闘い」と「美しい町の静かな放棄」の違いはどこからくるのでしょう?

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奈良田温泉
宿の在る西山温泉を少し北に入ったところに「奈良田温泉」があり、民家風の大きな温泉旅館「白根館」がありました。秘湯とされる宿の前に数台の車が止まっていました。この宿の前には「西田ダム」の広くはないダム湖「奈良田湖」が拡がっていました。西田ダムは、1937年完成の発電用ダムで現在、山梨県が管理しています。濃いエメラルドグリーンのダム湖は土砂の堆積がかなり多いように見受けました。大きな石がごろごろ在る早川を観ると推測できます、山梨県の主要な発電用ダムで既にないのでしょう。

この温泉地からさらに県道を車で北上した先に「広河原」が在り、「南アルプスの上高地」と自称しているそうです。ここからわが国で富士山に次いで高い「北岳」(標高3193メートル)が見えるそうです。登山シーズンのためか「広河原」まで既に交通規制が敷かれており自家用車では行けませんでした。

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ギネスをめぐる―慶雲館と法師― 
この宿を選んだ理由は既に書きました。ギネスに705年創業の「世界で最も古いホテル」―温泉ホテルとしてではない―として広く認知されていたからです。

「ギネス世界記録」の公式サイトに以下の記載がある。

記録保持者:NISIYAMA ONSEN KEIUNKAN
場所:JAPAN
達成日:705
The oldest hotel is the Nisiyama Onsen Keiunkan in Yamanashi, Japan, a hot-spring hotel, which has been operating since 705 AD. The second oldest hotel is also in Japan.



画像私にとって日本で一番古い温泉宿は、石川県粟津温泉の「法師」(創業718年)と思っていました。上記の"The second oldest hotel"が「法師」のことと思われます。泊まってはいませんがフロントまで上がりました。この宿は、木造の重厚な建物で見るからに「一番古い温泉宿」と納得したものです。なお城崎温泉の「千年の湯古まん」(創業717年)は順序からすると2番目の古さですが、西村屋本館の斜め向かいに在る普通の大きくはない温泉旅館です。

ギネス認定についてホテルの幹部の男性から話を聞きました。
この宿は、甲州で長く湯治場として利用され、近隣の人たちが2,3日かけてこの宿に足を運び1月ほど滞在したというのです。前代の社長(現在は52代の深澤雄二氏)が地元でしか知られていない温泉宿ではなく、日本一の宿にしたいと建物を近代的な旅館とすると同時に、その古さを売りにしたいとギネス申請を思いつき1年かけた交渉のすえ、2011年に認定を受けました。しかしこの年、東日本大震災があり、このことを広く宣伝はしなかったそうです。しかし次第に「世界一古い宿」が広く知られるようになり、また道路が整備されアクセスもよくなり宿泊客が多くなってきたとのことです。もっとも日本一古い温泉宿を誇りにしていた「法師」には特段の話はしなかったそうです。

この事例に限らず過去の事実に基づくギネス申請で一人勝ちは良くないと私は思います。「クラシックホテル」のようにグループを創り、互いに刺激しながらサービスの向上を図るのが望ましいと思います。日本でかなり古い―例えば創業100年以上―の温泉旅館がグループを創り共存共栄を図るのがよいと思います。こうして「日本の温泉文化」を守り育む活動に繋がれたさらによいと期待します。

慶雲館について付け加えれば、この旅館は外観がありふれた温泉旅館であり、サービスも優れているとはいえ標準的であり、どこがいったい「世界一の古い宿」なのか見つからないのです。これを期待した泊まり客は戸惑うかもしれません。旅館のどこにもその歴史を解説したものがないのです。よくみないと見落とすようにフロントの後壁にギネスの認定書が掛けているだけです。泊り客が戸惑わないように慶雲館の歴史のコーナーを設けることを提案しました。

西山温泉慶雲館
画像「甲州西山温慶雲館」は山深いところにあるそれなりに立派な温泉旅館でした。
館内と客室は、特に優れているとは言い難い。料理は山と川の食材をほどよく使って美味しかったのですが、前日、「落合荘村上」で食べた料理と比較してしまいました。
豊富な温泉は申し分なく深夜にも利用できて助かりました。今時、珍しい「三助」的な男性が浴場の入り口に立っていました。聞くと私より3つ年上で元気そうに見えました。彼がここの温泉水は飲める、ペットボトルに入れて持ち帰ってもよいと、2リットル入りの空のペットボトルを2本渡してくれました。もっとも温泉水を持ち帰る気はなかったので、好意に応じて受け取りました。私が気にしていた道路の向かいのきれいではない旅館について聞いたら、入り口は別々で中は混浴だが、泊り客はほとんどいないと教えてくれました。

蓬莱館と山本屋旅館
ノートパソコンで調べると、広くはない浴場に女性3人が浸かる姿の画像がありました。この宿「蓬莱館」を翌日の早朝訪ねてみました休業状態でした。
もう一軒は閉じた旅館の建物で「山本屋旅館」とありました。レトロ風でこの地に相応しい外観でした。
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旅館の従業員
この二つの建物の間の空き地に多くの車が止まっていました。当初、蓬莱館の客の車と思っていましたが、慶雲館の従業員の専用駐車場でした。
こんな山奥で旅館に勤める人たちの生活を私は想像できません。町内の集落から通ってくるにも車が必要であり、高齢の従業員は近くにある寮で生活しているのでしょうか。
温泉巡りをし「温泉文化」を論じながら旅館業の労働条件について考えたことはあまりないのです。ほぼ50年前、私が1年ちかく下田のホテルで働いたときの条件とはあきらかに改善しているはずですが、実態は知りません。
もっとも慶雲館のスタッフの対応はとてもよかったと述べておきます。

宿泊料
慶雲館のチェックアウトで宿泊料約4万円と請求されました。前泊の落合荘村上はこの半額ぐらいでした。ちょっと高いと思いました。その後、身延町のガソリンスタンドで同世代か若いと思われる経営者に慶雲館に泊まったことを知られ、あそこは高いとの評判を聞きました。そういえば、赤沢の美人さんに慶雲館に泊まることを話すと「高い」と言っていました。
深山の渓谷に在り豊富が温泉を提供する一軒家でギネス認定の古い宿で、部屋も料理もサービスもほぼ良好で、且つ競合相手が居ない温泉旅館です。先に泊まった「落合楼村上」と旅の最後に泊まった「葛城北の丸」のコスパで比較するとやはり高いと言わざるをえません。もっとも、競合相手が居ない有名で評判のよい温泉旅館なら高くても宿泊客は来るのでしょう。私が泊まった時も高齢夫婦の客が少なからず見かけました。
山梨県に行く用があれば寄ってみてください。
(Bへつづく)


画像説明:地図(@落合楼村上A土肥B大瀬崎C安田屋旅館D沼津御用邸記念公園E赤沢F白根館G慶雲館)、土肥(船は清水・土肥間のフェリー)、大瀬崎(先端の池は淡水で鯉が棲むという)、タカアシガニの食堂(戸田)、安田屋旅館(外観)、沼津御用邸記念公園内の旧東附属邸(遠景は駿河湾)、身延駅前「しょうにん通り」、赤沢の宿群(左下は現役の宿「大阪屋」、右下は「宿の道」)、身延山七面山参拝路案内図(左側の集落が赤沢)、雨畑紅茶(缶入りリーフ70gは1000円)、中央新幹線の計画路線図の一部(右にある「早川町新倉」はトンネル工事の残土排出場所の一つ)、早川町新倉の残土排出口(SankeiBiz2017年10月28日記事より)、奈良田温泉「白根館」(手前はダム湖「奈良田湖」、遠景にうっすらと赤石山脈)、慶運館(手前は早川)、大浴場と露天風呂(慶雲館)、粟津温泉「法師」(右)と城崎温泉「古まん」(左)、明治時代の慶雲館(木造3階建て)、蓬莱館全景・混浴風呂(同館のサイトより)・山本屋旅館。

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