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zoom RSS 天草諸島と薩摩半島の旅(上)

<<   作成日時 : 2017/08/12 17:55   >>

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8月初め、天草諸島と薩摩半島を車で回りました。この地域を選んだのは、私の旅のテーマの一つ「日本の海岸線を走破する」に沿ったもので、未だ走っていない薩摩半島の西海岸など九州南西部の海岸線を走るためでした。ついでに温泉を訪れ、郷土料理も楽しみました。さらに「宗教施設」に準じる所も見学しました。
2泊3日の旅のおおよそのコースは、1日目は伊丹空港から鹿児島空港へ、空港前でレンタカーを借りて水俣、八代、宇城(うき)を通り、三角から天草諸島に入り、まだ走っていない上島の南岸と下島の西岸を走り、天草下田温泉に泊まりました。2日目は、下島からフェリーで長島に渡り、阿久根、薩摩川内(せんだい)、いちき串木野を通り、薩摩半島の西岸の吹上浜を南下して、吹上温泉に泊まりました。3日目は、半島の西端の野間半島まで行き、野間半島から枕崎向かい、薩摩半島の南岸を西からに走り、知覧を通って鹿児島市内のホテルで食事を取りました。その後、桜島に渡り、垂水、鹿屋、霧島を回り、鹿児島空港から帰京しました。3日間とも晴天に恵まれましたが、気温は34度から37度と猛暑の連続でした。

1日目

特割航空券
今回も伊丹空港と鹿児島空港の往復航空券は早期予約の特割で購入しました。当日予約の通常運賃と比べの3分の1ほどの片道1万円ほどです。なんとなく得をした気になりますが、変更できないこと、キャンセル料が高いことで慎重に買わなければなりません。また往路は始発便、復路は最終便と九州での滞在時間を最大限としました。

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水俣
空港前でいつもの「ニッポンレンタカー」で車を借りました。空港の在る霧島市、湧水(ゆうすい)町、伊佐市、そして水俣市と走りました。あまり代り映えしない景色で、南九州を走っているという証拠が乏しく、ちょっと退屈なドライブでした。
画像山間部の坂を下ると海が見え水俣市の市街地に入りました。水俣の空も海もきれいでした。第2水俣病の「新潟水俣病」については、亡くなった妻の故郷に近いこともあって関心があり、ブログでも書きました。しかし本家水俣病についてはほとんど関心を持つことはありませんでした。市内には水<
俣病に関する資料館など施設がいくつ見かけましたが、いまさら見て回る意思はなく、水俣駅(旧国鉄鹿児島本線で現在「肥薩おれんじ鉄道」の駅)の近くに在る「エコパーク水俣」の「みなまた観光物産館まつぼっくり」に休憩を兼画像ねて入りました。他の客が美味しそうに食べているので、つられて「ソフトクリーム」を食べて、美人の女性店員に勧められた水俣らしい食べ物「寒漬(かんつけ)」(干し大根の醤油漬け)を買いました。「寒漬け」は水俣でしか作られているという漬物ではありませんが、九州での水俣市とその北隣り「芦北(あしきた)町」の特産とされており、なかなか美味い。その店員に京都から来たこと告げ「水俣というとまずは水俣病を連想すること」を話たのち、被害を受けた漁民たちは主にどこに住んでいたのか問うと、彼女はすこし返答に困ったようでしたが、物産館から南の沿岸だと教えてくれました。

水俣病
帰宅後「水俣病」をネットで調べると、物産館の在る公園は港の埋立地に在り、その港に「チッソ」が有機水銀を流していたというのです。確かに、公園に隣接して「チッソ」の関連企業「JNC水俣製造所」が在ります。
水俣病に関するネット情報を読むと、戦後わが国の公害を代表する「一大ドラマ」だと知りました。水俣湾や八代海沿岸の漁民たちと貧困に在った住民たち被害者、事実を隠しとうし加害を認めない大企業「チッソ」(元叶V日本窒素肥料の企業で現在の「チッソ」は補償を専業とする企業、化学製造会社「JNC (Japan New Chissoの略称)」を子会社とする)の対立軸に、「チッソ」の城下町に住む住民、熊本県や厚生省などの地方・国家組織、熊本大学医学部などの研究グループと研究者、さらにマスコミ、ライターなどが取り巻く70年余のまだ終わらないドラマです。1940年代に既に「水俣病」らしい奇病がこの地に発生し、現在も患者認定の「裁判」が続けられています。もっとも原発事故と異なり100年以上続くことはないでしょう。
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水俣病についての知識も乏しく批評する資格はありませんが、こうした「奇病」に関わる偏見、差別については関心はあります。
福島原発事故で特に子供たちへの偏見は続いているようです。女子たちは結婚の時、原発事故のとき福島に住んでいたこを隠したくなるとも聞きます。しかし原因がほぼ究明された「水俣病」はチッソの工場から排出した水銀が食物連鎖で濃縮された魚介類を住民が食べたことが原因(発症過程が完全に解明されたわけではないらしい)と特定され奇病でも伝染病でもないにもかかわらず未だに偏見差別が在り、熊本県で2010年、中学校のサッカー試合で相手側の選手に「水俣病、触るな」と発言した事件が熊本県で起きたそうです
ウィキペディアの「水俣病」の解説のなかで私が注目した以下の資料があります。

私らが裁判に勝ったら、一任派の人たちも千八百万円もらいなすった。それはまだいいのやけど、お金が出たばっかりに、自分もそげんとじゃ(そういう症状だ)≠ニ言う人の出てきたとです。それも、以前は伝染病やとか言うとった人やら、あそこの家は貧乏やから、魚しか食うもんがなくて病気になった≠ニか、陰口叩いとった人に限って我も我もと申請ばするとです。ろくに魚も食べんのに水俣病になった人やら、四十年になった水俣に越してきた人やらが、水俣病や、水俣病や′セうて・・・・。絶対、焼酎飲みすぎてアル中になった人やら、中風やらの人が申請しとるとです
(1989年の週刊新潮2月16日号の記事「水俣病「ニセ患者」も三十年」の胎児性患者・上村智子の母親の意見)


日奈久温泉「金波楼」
画像水俣市内から南九州自動車を避けて国道3号線(北九州市・鹿児島市:熊本市経由)を北上しました。山間部の国道で芦北町を通過し、八代市に入り、「日奈久(ひなぐ)温泉街」に入りました。計画どおり「金波楼」に寄りました。九州では少ない「国登録重要文化財」の「温泉旅館」です。温泉街には大小の宿が散在していますが、ちょっと元気がありません。「金波楼」はその一角に佇み、この地に在るのが不思議なくらい立派な木造3階建ての建物でした。板塀の痛みが気になり、内部を観たいと「アイスコーヒー」の看板を見て入りました。やや高齢の女将が出てきました。玄関から広い板敷のロビーに上がり奥の庭を見学し、玄関脇のギャラリーでコーヒーを飲みました。1910年に九州一を目指して豪勢な温泉旅館を建てたのです。その後、増改築され現在3代目が経営しているそうです。この地を訪れることがあれば、泊まってみたい温泉旅館です。

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日奈久竹輪
この地では「日奈久竹輪」が特産で、明治初期に創業した「今田屋」が老舗だそうです。沿道に在った本店で一本買って食べました。おいしい竹輪です。商標に鯛が使われていますが、同社の公式サイトによると原料の白身の魚の一つとして「イトヨリダイ」が使われているそうです。

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天草五橋
都会の八代市の市街地を流れる球磨川を渡り、氷川(ひかわ)町を抜け、宇城(うき)市に入りました。国道266号線(熊本市・天草市間)に移り、宇土半島の南岸を西に走り、JR三角線の終点「三角駅」の前に着きました。ここは先の旅で既に2度訪れています。
三角の瀬戸に架かる構造の異なる天草五橋の第五目の大きな橋「天門橋」で大矢野島に渡り、上天草市に入りました。「新天門橋」の付け替えは未だ工事中で来年の3月に開通の予定だそうです。
大矢野島から「天草松島」と言われる島々に架かる「天草五橋」の残りの4つの橋を渡りました。「日本にこんな風景があるのだ」と驚いた前回のような感動を覚えませんでした。前2回は天草側から三角側へ走って島々とそれを繋ぐ橋がよく見えたのに対して、今回は反対方向でそうした風景の展開しなかったためかもしれません。

海鮮家福伸
画像前回の旅で昼食に寄ったところ行列ができて、諦めた海鮮食堂です。「行列のできる店」でイカ料理も得意らしく、今回は少し遅めに着きました。客は少なく、「活きヤリイカ」と天草特産の「たこまぶし」を注文しました。味は期待したほどではなく、そこそこでした。
イカの刺身といえば、福岡で講演会を終えた後、業者に案内された「稚加榮(ちかえ)」福岡店は店内に大きな生簀が在りました。そこで頂いた「イカの活作り」の美味さがしっかりと記憶されています。これと比べてしまうのはグルメの不幸せなのかもしれません。

苓北発電所
画像「福伸」から天草の「上島(かみしま)」の南岸を走り、途中で天草市に入りました。道はほぼよく整備され走りやすい国道266号線でした。「天草瀬戸大橋」を渡り天草市の中心街天草の「下島(しもしま)」に在る本渡に入りました。市街地は全国各地にあるありふれた郊外型店舗群の町並みがここにもありました。天草空港の方向へ走り、海岸線の国道324号線(長崎市・宇城市間)そして国道394号線(大牟田市・阿久根市間:島原半島・下島経由)に出ました。天草灘の先に長崎半島の山並のうっすら見えました。
さらに海岸の道を南下すると、高い煙突を備えた巨大な建物群が見えてきました。「九州電力苓北(れいほく)発電所」です。タンカーではない大型の貨物船が停泊しており、石油ではない石炭の火力発電所だと思いました。この発電所一つで熊本県の電力需要の半分を占める発電量だそうです。そういえば本渡の郊外の山腹に巨大な送電殿の鉄塔が立っていました。

国内の火力発電所の燃料の石油と石炭は海外からの輸入に頼っています。海上輸送が遮断される事態が生じると火力発電はストップするでしょう。もっとも日本は石油の備蓄に関してはおおよそ200日間確保されていると言われており、この間に対策を講じる余裕はあるかもしれません。これに対して原子力発電所の燃料ウランの備蓄は数年間確保されているらしい。ということから国家安全上、原発は必要だという議論もあるようですが、原発容認の根拠とは認められません。将来の起こりえるかもしれないことに危険な原発で防ぐなどということは容認できません。
翌日、同じ九州電力の石油火力発電所と原発を外から見学しました。

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下田温泉
天草の「下田温泉」は、こじんまりした素敵な温泉地でした。温泉の宿は、多くはありませんが、離れ形式の高級そうな旅館からホテルや民宿まで多様でした、天草灘にそそぐちいさな河口の両岸に温泉宿と民家が並び、宿の他に土産物屋、観光案内所、足湯、郵便局、保育園、神社、寺が在りました。小学校も見かけず、コンビニもありませんでした。日本の各地に集落と同様に空き家も在りましたが、夏草に覆われ温泉街の風景の一部となっていました。

画像「下田温泉旅館組合」のサイトで探した「伊賀屋」は、木造2階建ての民宿のような温泉宿で、建物内部も浴場も温泉も食事も普通でした。宿はイカ専門の海鮮問屋だったということで、別注した「いかめし」は美味かった。当時に宿泊客は私の他に4人の家族づれ一組でした。
翌日、朝早く広くはない集落を歩くと、潮の香が拡がり、ジョギングする地元の人と挨拶を交わし、夏休みの時期で小さな公園でラジオ体操をする10人ほどの子供たちの姿も見かけました。こうした風景の温泉地は私の記憶にありません。特徴のない「伊賀屋」もこうした風景に包まれているといった印象でした。この心和む温泉はアクセスが悪いからこそ保たれてきたのかもれません。

商店「はまさき」
画像翌朝、宿を出ると狭い道をはさんで真ん前に在る雑貨店兼魚屋兼土産物屋の「はまさき」で下田温泉の土産を物色しました。店内には小柄な青年がレジに立っていました。聞くと「下田の土産物はない」と言うのです。しばくして奥から中年で元気のよい女性が出てきて、「このあたりは天草の土産です」と言いながら「もっこすブリかぶと煮」を勧めてきました。この女性が話始めると買わざる終えない雰囲気でした。買って確かめると、販売は天草市の「ミリミー」で、製造はいちき串木野市の「鹿児島協同食品」でした。これとは別に天草市で製造された「きすの浜焼き」も買いました。「かぶと煮」は夕食用で未だ食べていません。「浜焼き」はビールにつまみに食べ、美味かった。
「もっこす」とは熊本地方の言葉で「意地っ張り,がんこ者,つむじ曲がり」を意味するそうです。
(中へつづく)


画像説明:訪れた場所(@鹿児島空港A水俣市B日奈久温泉金波楼C海鮮家福伸D苓北発電所E下田温泉F崎津天主堂G牛深港H小浜崎古墳群I黒之瀬戸J川内高城温泉K川内原子力発電所L吹上浜公園M吹上温泉みどり荘N野間半島O鑑真記念館P知覧武家屋敷Q古里温泉R垂水市S妙見温泉A上甑島)、水俣駅、みなまた観光物産館まつぼっくり、寒漬け、JNC水俣製造所、金波楼の外観と玄関、工事中の新天門橋と天門橋(右)と三角の瀬戸(下方)、海鮮家福伸の外観と活きヤリイカ、苓北発電所、下田温泉の町並み、伊賀屋(外観)、もっこすブリかぶと煮の包装。

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